平成親友交歓

まだ平成の頃、秋口だったか。地元のガストで私を含め3人、それぞれが別の感情を持って座っていた。

その感情のうち「怒」を持っていた私は、今も時々この<出来事>を思い出し腹を立て、そのあと、教訓教訓、と切り替えるのである。

出来事。というにもたわいも無い、20代の頃の3人の話だ。

一人は、幼稚園時代からの幼名馴染み。
幼少の頃から穏やかで、お遊戯会の劇で白雪姫をするような、クラスの「花」であった。そんな子だから私は遠巻きに見ていたのだが、ド天然で笑いのツボが独特だったこともあって、中学になっていきなり意気投合し、今も仲良くしている。裏表なく誰かをあまり否定もしない。奈良が好きで、奈良ナンバーの車を見ると追いかける狂った癖があることを除けば、非常に親しみやすい。

その日の彼女は騒々しいガストの店内で幼なじみはギリギリ聞こえるような細い声で、ただただ「そうだね」「すごいね」「私には真似できない」と繰り返し答えていた。

もう一人は、小学時代からの友人だ。友人とするのに抵抗があるが、一旦そうしておこう。
小学4年の時に転校してきたのだが、世界の中心で回っているような性格であった。彼女が気にいるうちは仲良く楽しく過ごせるが、気が変わるとあとが怖い。私は程よい距離感で接していた。
彼女と幼なじみが大人になっても付き合いがあることに些か違和感を感じていた。

そしてこの日間違いなく世界の中心は彼女の手中にあった。いつの間にか彼女の独壇マウント会になっていたのだ。
テニスプレイヤーと結婚し、賞金でままならないときは、自身の母親に経済的に援助してもらい、高層マンションで悠々自適に過ごし、1歳に満たない子供がいるが、前述の母親におまかせ。順風満帆。
幸せって退屈で困るわぁ、まではギリギリそうか良かったねと聞いていられた。
が、ここからがそれぞれの感情の分かれ道とかった。
自慢に飽きると友人は幼なじみへ嫌味を言い始めたのだ。
なぜ結婚できないの?
彼氏が見る目がないのはあんたに魅力がないんじゃない?
後ろ盾がない人って退屈しなさそうで羨ましいわぁ。
こんなかんじの内容をいろいろな角度から言いはじめた。おそらく私が標的にならなかったのは、たまたまそのとき色々なことが順調だったからだろう。

いや、それは違うんちゃう?
まぁ、人それぞれだからね。
まあ、たしかにAちゃんは性格的に受け身だけど、人の話を親身に聞いてくれるし、それで助けられてる人もいると思うけどな。

苛立ちを二重三重に包んだ私の言葉も、彼女の独壇場には届かない。1時間2時間が過ぎた。それはもう間髪なく喋り続ける様は見事であった。

友人がトイレやドリンクバーで席を立つ度、幼なじみに、大丈夫か?馬鹿の言うことなんか気にするなよ、と声をかけたが、ぐったりしたまま「気にしないでね。大丈夫だから。」と繰り返した。

お開きにしたい。
今すぐ幼なじみの手を引きこの場を立ち去りたい。

昔見た卒業という映画のシーンが頭の中で何度も繰り返された。

時計を見た。苛立ちもあるが、この日、幼なじみと昼から雑貨巡りをする予定だったのだ。しかし、無理やり横入りで午前に友人が遊びを取り付け、延長戦へと突入していた。

3時を過ぎた頃、わたしの神経がプツンと切れた。私は感情を可能な限り出ないようテーブルの下で冷たくなった右手の掌を爪の跡が残るくらい握りしめた。

つーか、少なくともAちゃんは自分で生きようとしてるからね。

独壇場に割って入るように私がいうと、友人は驚きながらも響いたようで押し黙った。ミクロ、ナノレベルほどの自覚はあったようだ。

少しの間の無音と環境音。

そろそろお開きにしましょうか。
幼なじみは場を収めるために気を回したらしい。彼女のそういうところが友人として本当に好きだ。
しかし、アクシデントはまだ続く。お会計になって、友人が50円しか持ち合わせがなく、迎えの車が来れなくなったので幼なじみに立替と車で送ってくれと言い出した。お前何しに来たん?と出かかったが、幼なじみの気遣いが増えるだけだ。言葉を飲み込み、幼なじみにそこの本屋で待ってるからと伝えて解散となった。

本屋で待ち続けて1時間後、友人「ごめんね。なんか子供の面倒見てほしいって言われちゃって。たみちゃんにこれ以上待たせるのは悪いから、日を改めさせてもらっていいかな?今日は気分悪くさせてごめんね。」
幼なじみの言葉の中に菩薩を見た。
かたや私は阿修羅の顔をしたまま帰宅することになった。

数年後になるが、この話には後日談がある。
自由すぎる嫁に愛想を尽かした旦那は遠征中に浮気をし、それが元で離婚。その上母親の金策も尽きたため、住む場所を無くし、母親と実家住まい、親権については友人に働く意思がないので劣勢。そして、不自由の身を世の中が悪いといって鬱憤を晴らしているらしい。

その間幼なじみは責任感から管理職まで上り詰め、今もストレスで時々崩壊しつつも宜しくやっている。なにより彼女はここ数年で驚くほど強く、視野の広い女となった。幼なじみとして本当に誇らしい。

そのガストでの一件以来、その友人には会っていない。
しかし、別れ際に彼女が私と幼なじみに半笑いで言った一言が脳にプレートを挟み込んだように今も苛立ちの痛みを放つ。

まあ、地道にやれば?

そしてこのプレートを引き抜くために、お前が言うなとか色々な苛立ちと共に、教訓としてこう心に刻むのだ。

威張るな!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?