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みんなちがって、時々大変。

寒い!寒い!と春先に着るジャンパーを羽織ごみ捨てに出た朝。今日の最高気温は20度に届かず、とても寒い北国。
でも明日、明後日にはどんどん夏日になっていくらしく、なかなかキツイです。

時々、「障害アートではなく、一般的な場で発表はしないの?」と聞かれることがある

それにはこう答える

「表現には垣根はないけど、発信力には垣根があると思っています。一般的な場では自分で頑張らなきゃ行けないことは沢山あるけど、障害アートという括りにいれば、困ったことを相談しやすい。「困ったことを相談しやすい。」があるだけで頑張れる。」そんなようなことを言う

アートに限らず「多様性」をうたう時代に
「障害雇用」というワードを聞くことが増えた
それ自体は喜ばしいけど、理不尽に傷つくような出来事を聞く機会が増えた

人間同士だから
摩擦やすれ違いがあっても当然だけど
理不尽だったり 誠意なく切るようなことがあると
悲しくて仕方がなくなる。

アートの話に戻る

私視点の感想だけど
「障害があるようにみえない」と言われてるであろう、概ね日常生活が送れて「少しのサポート」で頑張れる障害者が、アートを通して参加できる場所にムラがあると思う

感覚で表現する障害者アーティストが「障害アート」で括られている?と感じることも時々ある。

色鮮やかだったり 緻密をひたすら追求したり それだけではないのになぁ。と

色んな人がいる
色んな表現がある

「障害アート」に救われ
「障害アート」という言葉と括りに時々傷つく。

描くだけならどれだけ簡単か。

障害アートの審査をする方々が
広い視野で 作品を手に取って欲しい

できることしか出来ないけど
これなら出来ると チャレンジした世界が
平等であることを、私は願います。

友民

(全て個人の感想です。)

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