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自己紹介



私は三重県の鈴鹿市で生まれ、
父の仕事で5才からは10才まではアメリカのオハイオ州住んでました。
小学校4年生に上ったタイミングで三重県の鈴鹿に戻り、小・中・高と過ごす。
専門学校は大阪・梅田の洋裁学校を選び、卒業までの4年間を大阪で過ごす。
就職を機に上京をして東京の表参道にあるアパレル会社に勤め始める。
が、、埼玉県入間市にある花屋さんへ転職。。その後は同じ埼玉県飯能市の花屋→東京都の花屋2件、福岡出張、を経て、いまに至る。東京の花屋がいちばん長くて7年半勤めた。
そして今に至る。いろんな所に行きました。。
自分の中では、どの土地も思い出深く第二の故郷を一か所には絞れない。

一番古い記憶だとアメリカに住んでいた頃だろうか。
自由にのびのびと、おてんばにつき、怪我もたくさんしながら過ごしていたように思う。ケンカや、競争には男の子にも負けたくない、という負けん気の強さがあった気がする。。そういう時は闘争心で燃えていた🔥と記憶にもある。ガールスカウトの山奥のキャンプで日本ではあまりお見受けしない程のでっかい虫が集まるバンガローに泊まったりだとかも、今思うといい経験。
。本場のハロウィーン🎃やクリスマス🎄などのイベントは、とてもナチュラルに気分が上がり、楽しかったと記憶している。私は小学校の時にハロウィーンで日本人に仮装した事がある(着物を着た)。なかなかシュールですよね笑ちなみにその時私は黒髪のオカッパ頭でした。菊人形ですかね

アメリカはハロウィーンには、学校全員が(校長先生まで😲)仮装し、学校の中をぞろぞろと歩き回る。そして学校が終わったら近所の家を周り、玄関の前で”Trick or Treat"というと、家の人がお菓子をくれる。カボチャを畑で取ってきたものをくり抜いて、ジャコランタンも作った。くり抜いた実は確か捨てていたが、種は食べれるとかいっていたような。あの作業の時に漂うかぼちゃの豊満な香りは今でも思い出せる。
クリスマスは、近所の家だけでも競いあうように電飾が煌びやかに光る。自然に出来たイルミネーション通りはとても綺麗で、車で町内を一周して見物するのが楽しみだった。
他にも、バレンタインデーは男女関わらずクラス全員でチョコを交換したり、誰かの誕生日にはクラス全員でお祝いして先生も一緒に授業中カップケーキを食べる時間があったり、マクドナルドを貸し切って誕生日パーティーを開く子が定番だったり、今思い出すと、一個一個が大イベントで、かなり気合が入っている文化だなー。すばらしいなー。。と思う。
日本の風景もまた然り、控えめで風情があり、やはり落ち着く、、、というのが一番。私自身は、とっても日本人的性格で(人見知りだし、前に出れないし)控えめすぎるなー、と思っているんだけど、外国の方が合いそうだとか、はよく言われてきました。その理由は様々あるのですが、YES,NOはっきりしていたりだとか、初対面の人とも抵抗なく喋れたりだとか(あれ、人見知りは?て思うかも知れませんが、この場合はまた人見知りとは別なのです)抵抗はないけど、人見知りはしてます笑わかります?笑
あと要素は何だろう。元来大雑把で小さい事は気にしないところかなー笑
という感じでやっております。

幼少期の話だけで長くなりました、、また機会があれば、ちょっと特別な高校生活の話も綴ります。では。


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