読書会を開きます!

【追記】定員満了のため『監獄の誕生』及び『全体主義の起原』読書会の参加者募集を終了させていただきます。オンラインでの読書会になりますと、少人数でなければ会の進行が難しくなりますので、ご理解いただけると幸いです。再募集は今後の状況によっては検討いたします。

以前からTwitterで告知していた読書会ですが、ミシェル・フーコー『監獄の誕生』読書会とハンナ・アーレント『全体主義の起原』の二つに分けて、それぞれ月1回を目安に開催したいと思います!約1年ほどで一冊を通読する予定です。本を読もうという意思のある方でしたら、どなたでも読書会に歓迎いたします。来るもの拒まず去るもの追わずのスタンスですので、是非お気軽にご検討くださいませ。勿論どちらか一方の参加、両方の参加、どちらでも結構です。よろしくお願いいたします。


1 開催時期、開催地、募集人数の目安について

ミシェル・フーコー『監獄の誕生』読書会 5月下旬以降 新宿区内にて開催 3人〜8人程度規模

ハンナ・アーレント『全体主義の起原』読書会 6月下旬以降 新宿区内にて開催 3人〜8人程度規模

※具体的な開催地は今後検討いたしますが、状況によって変動する場合がございます。また、開催地によっては数百円程度の参加費が発生する場合がございますが、出来る限りコストを抑えられるよう努力いたしますので、ご了承くださいませ。


2 開催方法について

所要時間は2、3時間程度と予想されます。テキスト(本)は各自ご用意ください。購入されたものでも図書館のものでも結構です。毎回事前に開催希望日時のアンケートを取り、最も参加者の希望が重なる日程で開催したいと思います。その際はレジュメ担当者の都合を優先させていただきます。(レジュメについて詳しくは「3 読書会の進め方について」で説明)

また、主催は実地での読書会開催が望ましいと考えていますが、COVID-19の影響が長引くことが予想されますので、感染予防のため、オンラインや野外での開催など柔軟に対応していけたらと考えています。

【追記】5,6月の読書会はオンラインで開催します

3 読書会の進め方について

どちらの読書会も、担当者にレジュメを作成のもと、そのレジュメをベースに進行していただく予定です。とはいえ、自由な討論や話の脱線こそ読書会の醍醐味でありますので、レジュメ進行を全てとするつもりはありません。レジュメの担当はその都度、参加者同士相談して決定したいと思いますが、原則として参加者にそれぞれ一度は担当していただくようにお願いしたいと思います。

また、レジュメ作成にあたり細かい規程は一切ございません。各自、思うように作成していただけたらと思います。初回は主催が担当いたしますので(こんな出来か…と思って)ご安心ください。


4 最後に (参加希望等の連絡先と読書会を開く理由)

以上が大まかな読書会の構想になります。是非一緒に読書会をしましょう!また、参加希望のご連絡やご質問、ご意見等は私のメールアドレス(katzenpfoten10@gmail.com)までよろしくお願いいたします。定員満了となるまでは、いつでも参加者を受け付けます。

最後に、なぜ私が読書会を開催するのかの理由についてと私自身についてお伝えしたいと思います。

まず、私は現在早稲田大学に在学する者です。にこんな時期に読書会か?と驚かれる方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら、私は「今」だからこそ読書会を開きたいと考えています。

分断されることを余儀なくされた閉鎖社会で、一人の学生に何が出来るだろうか、そう考えた時に真っ先に頭をよぎったのが読書会でした。

本、読書会は共に長い歴史を持ちます。度々外圧を受けながら、時には法で禁じられることもあるなか、それらが現代まで続いてきた意味を考えたときに「文化」の存続とは何かという問いに直面しました。

私は大学に入る前、月に二度ほど、とあるブックカフェの読書会に参加していたのですが、諸事情で通信制高校に通っていたこともあり、そこでの学びは、殆ど私の全てと言っても過言でないくらい、かけがえのないものでした。そのような経緯あって人一倍読書会には思い入れがあるのですが、突然どうしてこのようなお話を挟んだかといいますと、つまりこれから私が行おうとしている読書会は、その方式も全て、私がかつてお世話になった読書会の「模倣」に過ぎないのです。

これから始める読書会が「模倣」であるならば、かつて私の得た「かけがえのなさ」はそこから失われてしまうのでしょうか。

多くの大学で授業がオンラインになり、世間では「オンライン帰省」「オンライン飲み会」といった仮想空間での模倣を目指す試みも増えています。読書会も例外ではありません。

そうしたなかで、私達は完璧なオリジナルを志向するべきなのか。その問いを考える上でローベルト・ヴァルザーが一つ手掛かりを与えてくれます。

ひょっとしたら、すべて、反映したものは(alles sich Widerspiegelnde)、いわゆる現実のなかにあるときより何らかのニュアンスの分だけ、はっきりした姿をもっていないだろうか。 (Robert Walser:Sämtliche werke in Einzelausgaben. Hg.von Jochen Greven, Zürich/Frankfurt a.M.1985―86 :78f)
反映され、複数化されたものへの意味ありげな言い方は、他の作品においても、 形を変えてたびたび現われる。widerspiegelnやabspiegelnといった語を用い て、あるいは過ぎ去った記憶という形をとって、鏡面としての自己のうえに映し出される様々な像を、フェティッシュなまでに玩ぶのがヴァルザーである。   (吉田孝夫 1998『ローベルト・ヴァルザーにおける寓話性(2) : 放蕩息子を めぐる二つの散文小品について』:14-15)

私達は恐らく新たな空間創造が試される時代にいるのだと思います。精神の活動を行えるような文化の生存圏の確保、大仰な表現ですが、その空間の一つが読書会の場であると私は考えます。

またその空間が模倣品で終わるか否かを決定するのは、私達自身でしょう。私は大学という空間に憧れた者として、読書会を愛好する者として、自分に可能な形で世界を覆う「閉鎖性」に抵抗したいと考えました。

書物は時代を超え、人と人を結びます。読書は非常に開かれた行為です。私はその可能性を信じています。

長くなりましたが、私の熱意が一部でも伝われば幸いに思います。拙文にお付き合いいただきありがとうございました。

momo

メールヒェンが終わるところ、そこからヴァルザーは始める。
(ヴァルター ベンヤミン Walter Benjamin  1996『ベンヤミン・コレクション〈2〉エッセイの思想』浅井 健二郎,久保 哲司, 西村 龍一 三宅 晶子, 内村 博信 訳(ちくま学芸文庫) 

好きな批評の一節です。




欲しい本リスト(https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/29SCET9374R0A?ref_=wl_share) 本を贈っていただきましたら、後日お礼にその本に関する文章を書いて公開したいと考えています。