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徒然なるままに

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徒然なるままにメモ
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#感情

自分の気持ちがよく分からない

「なにか食べたいものある?」と聞かれて困ってしまうときのように、自分がなにを望んでいるのか分からないことがある。 自分の気持ちが分からないのだ。 怒っているのか、不安なのか、困っているのか、それとも安心しているのか。やりたいのか、やりたくないのか。好きなのか、嫌いなのか。期待しているのか、諦めているのか。 よく分からない。これは、なにが問題なのか分からない漠然とした不安に近いものがある。 そんなとき、身体技法研究者の甲野陽紀さんの著書『身体は「わたし」を映す間鏡である

どうして怒るの?

「どうして怒るの?」 オフィスで思わず呟いてしまった。 (聞こえてませんように……) そこで、「怒り」を他者にぶつける行為について考えてみた。 怒ることは、多かれ少なかれ人の心に影響を及ぼす行為だ。 人を萎縮させたり、不安にさせたり、逆に怒りを生んだりする。 そうした影響を考慮したうえで、本当に怒ることに意味があるのか? ただ事実をフィードバックしたり、一緒に改善策を考えたり、エンパワーメントしたりすることよりも、合目的的な行為なのか? そもそも、なぜ怒っているの

きらいな人

きらいな人という言葉があまり好きではない。冷たい、嫌な響きだ。 だけど、自分の「きらいな人」を定義しておくことは、自分の感情を俯瞰し、心を平静に保つために役に立つのではないかと思い、書き記しておくことにしました。 自分への戒めも兼ねて。 ・言葉が軽い人。自分の言葉が他者にどんな影響を与えるのか考えていない人。 ・自分の思い込み情報を事実かどうか確認せずに、まるでよく知っていることのように話す人。悪口につながるものだと最悪。 ・「他者と自分は違う」と主張したが

人はずっと同じではいられない

24年とちょっと生きてきて、いま、書き残しておきたいなと思ったこと。 それは、人はずっと同じ人ではいられないということ。 人生を通して、ひとりの人がいろんな表情を持ちます。 だから、人を信用するのは危ないよ、とも言えるし、期待できるかも、とも言えます。 私は、高校生の頃は情緒不安定で、無意識のうちに常に他者と自分とを比較して自己嫌悪に陥っていました。 そのときは、まわりの人の何気ない言葉に傷つき、ケチになり、ほんの少し嫌なことがあるだけでも苛々しました。 哀しいと