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わたしが持っていた「アンコンシャスバイアス」に気づく

「アンコンシャス・バイアス」という言葉がようやく市民権を得ようとしています。意識せずに自分の中に取り込んだ偏見、知らないうちに身につけていた偏見、差別のことです。差別しようとして差別する人は稀で、多くは「世間的な常識」や「そういうもの」「ただの個人的な価値観」だと認識していて、その対象になる人の苦しみや傷つきに思いを馳せることはなく、ましてやその対象になる人「すべて(全員でもあるし、個々の人が持つ多様なプロフィール)」を知っているわけでもありません。いつのまにか自然にそう「思い込んだ」ものです。そして無意識に誰かを貶め傷つける。

「知らないうちに」というのが手に負えないところで、誰にでも起こり得るし、わたしにもあったことを先日、気づくことができました。反省を込めて書き記しておきます。

まずこちら

誘われているにもかかわらずセックスをしないというのは、ある種男らしさの沽券(こけん)に関わる部分かもしれないとは思いました。

https://www.ytv.co.jp/press/society/188836.html

沽券!人の値打ち、対面、面目のことで「沽券に関わる」という文脈で「誰の」にあたるのはたいてい『男』です。性交同意に関しても「沽券」が大切で、断らない傾向があることが調査で明らかになった、と。いわゆる「有害な男性性」が自分の首を絞めている一例かと思われます。知りませんでした。

そしてこれ

 男の子に対する女性からの被害は少なくない。内閣府が2022年に行った若年層(16~24歳)の性暴力被害の実態に関するオンラインアンケートでも、16~19歳の男子で、異性からの被害は3割強あった。
 カナダや日本国内で800人以上の男性被害者に接してきたトラウマセラピストの山口修喜(のぶき)さん(45)も「男性被害者の3分の1から4分の1は女性からの被害」とみる。母親からの被害も少なくなく、知り合いの年上の女性から誘い込まれるケースもあるという。
 しかし、「生物学上の構造として男性はする方で、される方ではないという思い込みが社会にあり、男性が被害者という認識を持ちにくいのが実情だ」。女性からの被害は想定されづらいと話す。

https://digital.asahi.com/articles/ASR2W4TWXR2QUTIL027.html

この数字の部分に関しては既に知っていましたが、このふたつの記事をたてつづけに読んでわたしがハタと気づいたのが「わたしの中にあった性差別」です。

もう10年ほど前のことになりますが、友人から年下のボーイフレンドができたという知らせがありました。当時彼女は30才くらいで、ボーイフレンドは14才。幸せそうに伝えるその声にわたしは「素敵、よかったね」と祝福しました。性別が逆なら全力で反対するにもかかわらず、です。これがわたしの中にあった性差別であり、アンコンシャス・バイアス。

まず、男性が「沽券に関わる」ゆえに、「No」を言い辛いだろうという前提が無かったこと。そして、「性交同意年齢」に関するバイアス。妊娠による心身へのダメージや学習機会を奪われかねないリスクに晒される女性には重要だけれど、男性はどうでもいいというようなわたしの認知の歪みです。

性交、つまりセックスすることについて 同意する能力があるだろうとみなされている年齢、という言い方になりますね。また「性的同意年齢」というものもあります。キスしたり、裸にして体をなめたりなど、“性交”以外の性的行為に対して同意する能力があるとみなされる年齢のことです。

https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0026/topic029.html

とあるように、「わたしのカラダはわたしのもの。誰にも好き勝手されたくない」という大切な自己決定(権利)を主体的に行使できるかどうかは、相手とのパワーバランスが大いに影響します。親、先生、圧倒的年長者が相手のとき、幼い自分の「NO」を伝えきれない可能性は大いにあるので、せめて16才に引き上げて性暴力からまもりましょう、というものです。現行法では13才(1907年から変わらず)。ようやく引き上げの審理がはじまる段階にまでこぎつけました。

20年以上もこの「性交同意年齢の引き上げ」について関心を持ってきたにもかかわらず、そして男性も性暴力の被害に遇っていることを知っていたにも関わらず、今やっと性交同意年齢の保護の対象に男性が含まれていなかったことに気づいたのです。これは明らかな「性差別」というわたしの中にあったアンコンシャス・バイアスです。

遅まきならがのアップデートのタイミング。

気づいて何を思ったかと言うと、凄くショックでしたし、これまでもしかしたら守れなかった、傷つけた人がいることを申し訳なく思いました。そしてこの先、同じ過ちを繰り返さずに済むことに安堵しました。

先の記事にも

 男性の場合、被害を打ち明けたときに、「ラッキーじゃないか」「男はそんなもん」「遊びはほどほどに」などの反応をされがちだが、そうした言葉は禁句、と山口さんは説明する。大切なのは、「話してくれてありがとう」「嫌なことをされたんだね」「やった相手が悪い」と伝えることだという。

https://digital.asahi.com/articles/ASR2W4TWXR2QUTIL027.html

とあるように、男性はそもそも被害を打ち明けにくいうえに、セカンドレイプ的な反応をされがちです。そのことはすでに研修で認識していたので、被害を打ち明けられたら「被害」としてケアすることはできていましたが、微妙にズレや歪みがあって「被害を受けている可能性がある(認識できていない)男性」がゴソッと抜け落ちていたようなものです。目の細かいザルのその部分だけ穴が空いていたのと同じことです。

タイトルの写真は今習っている竹細工の講師が作ったザル。ザルなら用途に応じて目の細かいものや粗いものを使い分ければいいですが、不公平、不正義、不平等をすくうザルは目が細かいにこしたことはありません。穴が空いているなどもってのほか。



…というように普段どのように偉そうなことをいっていても、わたしにだって間違いはあるし、知らないこともあるし、完璧だなんて思ったことはありません。そのときに「最善」と考えられるチョイスをしているのであって、その「最善」はこうやって更新され続けるので『前に言ってたことと違う!』と指摘されることもしばしばです。神様にもらった「良心」が機能する限り、更新し続けないと神様と再会したときに絶対に「進化のチャンスを逃したのはなぜか」と突っ込まれることを知っているし、その言い訳「間違いを指摘されて不愉快だった」「プライドが傷ついた」などのエゴが通用しないことも知っていますし、わたし自身、そういうプライドやエゴはどうでもよくて、ただ「良心に悖るふるまい」をする罪悪感には耐性が無いので、言うことはしょっちゅう変わります。

日々是学習

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