見出し画像

「光の中へ」に隠されたぼっちの想い



1.はじめに

①YouTube動画の案内

今回は結束バンドの曲「光の中へ」の歌詞について考察した記事になります。
約30分の動画の文章化なだけあって、かなりの長文です。
文章を読むのが苦手な方は、YouTubeに考察動画を上げているので、そちらをご覧ください。

ただYouTube動画より、こちらの方が後に作成した分、考察内容が一部違うところがあるなど、よりブラッシュアップされています。


②救急搬送されて長期離脱

私が「光の中へ」を初めて聴いたのは、5月の恒星ライブの現地でした。
ところが6月に入って、想定外の出来事が起こりました。

突然倒れて救急車で運ばれ、1ヶ月くらい寝たきりに近い状態。その後も中々症状が快復せず、2か月以上はPC作業ができない状態が続きました。
その間、曲を何度も聴き込み、歌詞を穴が開くほど見つめ、頭の中で考察内容をまとめる。
体調がある程度良くなってからは、リリックビデオも何回も視聴して分析。

すると、突然見えてくるものがあるんですよね。
それで次は、アニメ本編を見返して検証。
結果、初期とは多少違った考察結果になりました。



2.楽曲の印象

①大前提として

結束バンドの楽曲は、劇中では作曲をリョウが、作詞をぼっちが担当しています。だからここでは、ぼっちが作詞した体で、ぼっちが何を思い、何を表現したのかを考察します。
その上で、「光の中へ」を考察する上で必要なもの、重要なものを挙げていくと…

  • 歌詞

  • キービジュアル

  • リリックビデオ

  • 作詞作曲した藤森さんのインタビューコメント

  • アニメ

  • 原作漫画

これらを元に考察していきます。


②制作側の意図

「光の中へ」を初めて聴いた時は、素直にカッコ良いギターロックだな、ライブ感のある曲というのが、最初の感想でした。
あと歌詞が少し前向きになっている印象で、ぼっちの成長を感じました。

ぼっちと言えば、承認欲求や不満とか、根暗な感情を唄った詩というイメージが強いと思う。
実際、「ギターと孤独と蒼い惑星」や「あのバンド」は、かなり暗い、陰鬱な歌詞になっているが、そこから少しずつ歌詞の制限を解除していくことで、ぼっちの微妙な変化や成長を、制作側が意図的に表現しているんだと思う。

その証拠に、rockinon.comの藤森さんのインタビューコメントには、以下の通りにある。

あくまでポジティブな気持ちを表現したかったんですけど、後藤ひとりが素直に自分の気持ちを歌詞にすら表現できない人なので、明るすぎると後藤ひとりの歌詞じゃないんですよね。アニメの制作サイドの方たちにもそこをご指摘いただいて、何回か書き直しました。
『後藤ひとりはまだここまで言えないですね』とか『こういうことは考えないんじゃないかな』とか『こんな言葉遣いはしないんじゃないかな』とか、実際にはそこにいない子のことを思いながらみんなで詰めていって。

出典:rockinon.com 藤森元生さんのインタビュー記事


明るすぎるとぼっちじゃない。でも成長したところも見せたい。
そのさじ加減を、制作側が絶妙に調整している訳です。
『後藤ひとりはまだここまで言えないですね』とかは、正にその最たる例だと思う。
驚かされるのは、制作側が後藤ひとりという人間像を深く理解し、楽曲の中で完全に再現している点です。


➂光の中へ=ライブ

「光の中へ」のイメージを問われれば、バンドとかライブについて唄った歌という印象を持たれる人が多いんじゃないでしょうか。
実際、それで正解だと思います。

恒星ライブではボーカルの長谷川育美さんが、
「この曲はバンドを唄った歌で、今日までたくさん練習してきたが、『この時間 この場所 まるで絵空事』とか『このフレーズ この歌 本当に好きな音』のところは、今日が一番心を込めて歌えた
と、MCで話してます。

また作詞作曲を担当した藤森さんは、インタビューに以下のように、ライブをテーマにした楽曲だと答えています。

今作が実際にワンマンライブを行ってそこで発表される楽曲だということがわかっていたので、今回は「結束バンドが大舞台に上がる」ということを意識して「ライブ」を軸にした楽曲テーマで進めていきました。

出典:リスアニ!藤森元生さんのインタビュー記事


ただ、この曲=ライブという印象を一番強めているのは、2枚のキービジュアルと、それを元に作られたリリックビデオだと思う。
まずは印象的な2枚のキービジュについて解説していきます。



3.キービジュアル

①Zepp Hanedaが背景に

結束バンド「光の中へ」Lyric Video

1枚目のキービジュは、ステージの上で膝を抱えたぼっちが、考え事をしている画です。背景にはZepp Hanedaが描かれています。

「光の中へ」は、恒星ライブで初披露されることが決まっていたので、Zepp Hanedaを背景に持ってきたんでしょう。
何故なら公式は一貫して、結束バンドというバンドが、現実に存在するかのように演出してきました。
まるでアニメの結束バンドが現実世界に飛び出して、そこにいると感じた人もいるでしょう。
私がこの画を見たのは恒星ライブの現地だったので、まるで恒星ライブのリハーサルでの、ぼっちの様子に思えました。

初の大舞台に浮足立つメンバー。
そんなメンバーを見て、ぼっちはどんな行動に出たのか?
客席を見つめながら、何を考えているのか?
視線の先には、何が見えているのか?

アニメでもぼっちの横顔は、一歩前に踏み出そうとする時や意を決した時などに多用されてました。
だからこの画からも、ぼっちが何を思い、何を考え、どうライブに向き合っていったかを想像すると、ワクワクします。


②口元とギター

結束バンド「光の中へ」Lyric Video

もう1枚の、ぼっちがギターを弾いている画も見てみましょう。ぼっちの口元が少し微笑んでいるようにも見えます。

ぼっちが楽しそうに演奏している姿を見ると、成長したように感じますね。
ですがアニメ本編でも、第1話のライブでは、緊張して表情の硬かったぼっちが、最終話では表情も柔らかく、楽しそうに演奏してたりと、回を追うごとに微妙に変化を付けて、ぼっちの成長を表現しているので、見返してみてほしいところです。

またギターは、レスポールカスタムからパシフィカに持ち替えています。
これは、恒星ライブが時間軸的には、アニメの後という位置付けなのでしょう。もちろん原作及びアニメ本編の世界線とは違う、平行世界という扱いですが…。
実際、カップリング曲の「青い春と西の空」では、ギターソロでアームが使われており、音の面でもギターを替えたことが分かるようになっています。


③重要なキーワード

2枚のキービジュとリリックビデオは、楽曲の完成を受けて作られているはずなので、ここには制作側の意図、もしくは、ぼっちの視点、ぼっちの想いが隠されていると思っています。
さらにこの曲の歌詞を考察をする上で、重要なキーワードが「光」です。

光が何を意味するのか?

直接的な言葉を詩にしないぼっちが、何を光に例えたのかが、この曲を紐解くカギだと考えます。



3.歌詞解釈 A~Bメロ

①Aメロ

都合上、1番と2番の歌詞を比較しながら解説します。

(私+期待-不安)×ギター=ロックだ
(私+君-時間)÷ギター=ライブだ

(私+世間-意思疎通)×理解=アウトだ
私+君はバイアス 音÷無限の輪=バンドだ

計算式をあしらった特徴的な歌詞ですが、これは作詞作曲した藤森さんが、女子高生バンドの結束バンドということで、高校生らしさを表現するため、またぼっちが直接的な言葉を詩にしないことから、数式にしたとインタビューで答えています。
解釈するに当たって、数式の部分、特に×と÷は無視してもいいでしょう。

1番は、ライブ前の緊張や不安が伝わってきます。
この1番のA〜Bメロですが、アニメ第1話のライブ前の場面を指していると考えます。

もちろん、これには理由があっての解釈です。
藤森さんはインタビューで、こう答えています。

■結束バンドらしさ、もしくは「作詞:後藤ひとり」らしさを表現するために工夫したポイントは?
アニメも観返しながらより「後藤ひとり」を理解して感情移入出来るように努力しました。

出典:リスアニ!藤森元生さんのインタビュー記事


また、アニメを観て、後藤ひとりの思考にシンパシーを感じたとも答えており、「作詞:後藤ひとり」を表現するのに、ぼっちの思考や心情に共感したアニメの場面を、歌詞に落とし込むことは十分に考えられます。

 
第1話の該当シーンを見てみましょう。

ぼっち・ざ・ろっく! 第1話

知らない他人とバンドを組むわけだから、そりゃ怖いです。でも憧れるし、なんか期待しちゃうんですよね。
そして初めてメンバーに自分の演奏を披露するときも、お客さんの前で演奏するのも、不安だし緊張します。
私も音楽経験があるので、ここは凄く共感しました。

ぼっち・ざ・ろっく! 第1話

次はライブ前のスタジオ練習でド下手と言われるシーンを表していると考えます。
ギタ男の解説場面で、バンドは生身の人間と呼吸を合わせることがとっても重要とあったが、ぼっちのようなコミュ障じゃなくても、息の合った演奏をするには、練習してお互いの呼吸を合わせていく必要があります。
第1話のこの場面、練習時間はおそらく1~2時間ほどだっただろうし、全然時間が足りないんですね。
時間がマイナスされているのは、そのためかもしれません。


(私+世間-意思疎通)×理解=アウトだ
私+君はバイアス 音÷無限の輪=バンドだ

2番のAメロは、世間、意思疎通、理解、アウト。
これらのワードから連想される意味をつなぎ合わせると、コミュ障であるぼっちの、自己評価と考えるのが妥当かと思います。

『私+君はバイアス』だが、『君』とは結束バンドのこと。「星座になれたら」でも、結束バンドを『君』に例えていたし、『君』と出てきたら、大体結束バンドだと思っていいでしょう。
バイアスは、偏見とか先入観といった、ネガティブな意味で使われることが多いが、文脈や場面によっては、かさ上げや思い込みといった意味を持つ。
今回は後者で、結束バンドの音楽が、たくさんのお客さんを笑顔にすると信じてるといったところだろうか。


②Bメロ

戦々恐々になってる 本番8小節前
劣等感ぶっ壊して 光の中へ飛び出した

本番8小節前が、実際のサビ8小節前であることから、ライブ直前というのが伺える。
直訳すれば、ライブ直前、怖くて震えていた。
ぼっちと言えば、自己肯定感が極端に低い、劣等感の塊と言っていい思考なので、劣等感とは、今までの自分を指しているのではないかと思う。
そして光の中へ飛び出したと、スポットライトが当たるライブステージを、光に例えたという解釈が多いのではなかろうか?

前述で私は、1番Bメロもアニメ第1話、ライブ直前のシーンを指していると述べました。
ライブ直前のスタジオ練習で、ド下手と言われ、逃げ出してゴミ箱に隠れてしまった場面です。
Bメロの解釈について解説するには、リリックビデオについて触れなければならないので、先にリリックビデオの解説をします。


③Lyric Videoに隠された意図

結束バンド「光の中へ」Lyric Video

上は「光の中へ」のリリックビデオの最後に、タイトルが表示された画像です。
結束バンドを彷彿させる楕円の中に、タイトルが描かれており、色もメンバーカラーの、赤、青、黄色、ピンクが使用されています。

そして歌詞は一部の除いて白色の文字が使用されているが、一瞬だけピンクや黄色で表示させて、白色に切り替わる感じになっています。
私はこれは、ぼっちと虹夏を表現していると思っています。

『戦々恐々になってる』『光の中へ飛び出した』の2ヶ所で、青色と赤色が使用されているが、赤→緑→青の順で表示されていることから、ここはリョウや喜多ちゃんのことではなく、光の三原色を表していると思われます。

何故、ピンクと黄色だけなのか?

想像ですが、ぼっちにとって、自分を見つけてくれた、結束バンドに誘ってくれた虹夏は特別なんだろう。
ゴミ箱に隠れた場面、虹夏の言葉に、ぼっちは救われているんですよね。

ぼっち・ざ・ろっく! 第1話


Bメロの解釈に話を戻しましょう。
Bメロの解釈は、直訳の通りで概ね問題ないと思う。
ただ私には、1番Bメロの歌詞が、虹夏の台詞がぼっちの琴線に触れた、この場面に重なって見えました。

『戦々恐々になってる 本番8小節前』が、第1話のライブ直前、怖くて逃げだし、ゴミ箱に隠れた場面のことを指していると考えます。
問題は『光の中へ飛び出した』のところ。光とは何なのか?

単純に考えれば、ライブステージのことでしょう。
アニメ第1話のライブ直前の場面を指しているとしても、あの後、インストでライブを行ったので、やはりライブステージを意味すると考えるのが妥当な気もします。
ですが、ぼっちの性格、人物像に照らし合わせると、違和感を覚えるのです。

『光』は、この曲の解釈をする上で、最も重要なキーワードと考えます。
光の解釈によって、次のサビ部分の解釈が違ってくる。
結論を言えば、1番と2番では光が何を指しているかが違うため、全く同じ歌詞のサビ部分が、1番と2番で違う意味を持つというのが、私の見解です。
そのサビのところを見てみましょう。



4.歌詞解釈 サビ

①光とは…

生まれたよ一つ 新しい世界が
この時間 この場所 まるで絵空事
毎分毎秒が奇跡 刹那の煌めき

1番と2番で、全く同じ歌詞のサビ部分がここです。
まずは光が、ライブステージを指している前提で、意味を考察してみます。

よく現実のアーティストが、ライブはその時、その時で違うから、同じライブになることはないと言いますよね。
一期一会に近いと言ったらいいのかな。ステージの演者と客席の聴衆とで作り上げたライブ空間。
一体感とか空気感とかは特別で、同じものになることはない。まさにその時、その場所限りの、奇跡みたいな時間と言うじゃないですか。

ただ、ぼっちのライブ回数は数えるほどで、上記のような考えには、まだ至ってないと予測します。
それこそ、藤森さんのインタビューコメントにもあった、「後藤ひとりはまだここまで言えない」とか「こういうことは考えないんじゃないか」という、制作側の指摘の通りだと思う。
それよりは、ライブをしている、今の自分の現状が奇跡だと思っていそうです。


サビをどうぼっちに落とし込むか?
ぼっちならライブから、どんな感情が生まれるのか?
どんなことを思い、どんな歌詞を書くのか?
そして光が何を意味するのか?
ヒントは、下記のサビの次の部分にありました。

日々の隙間に意味を落とせ
日々の隙間に意志よ 宿れ

そして、ここの解釈から光は、1番が結束バンドを指し、2番はライブ及びライブステージを指す、という結論に至りました。

『日々の隙間に……』の解釈については、後ほど解説するとして、光が結束バンドを指す1番と、ライブを指す2番の解釈について解説します。


②それぞれの解釈の違い

光=ライブ
光がライブを指すなら、『新しい世界』は、ステージから見える景色、お客さんの笑顔といったところだろうか。
もしくはライブそのものを、新しい世界と表現しているのかもしれない。

『この時間』『毎分毎秒』『刹那』は、どれもライブをしている瞬間、『この場所』はライブハウスかライブステージを意味するものと思われる。

『絵空事』『奇跡』『煌めき』は、夢とか奇跡といった意味だろう。


光=結束バンド

次に光が結束バンドを指す場合、『新しい世界』は、バンド活動ということになるだろう。

『この時間』『毎分毎秒』『刹那』は、結束バンドでの日々を、『この場所』は、結束バンドでの居場所を意味するものと思われる。

『絵空事』『奇跡』『煌めき』は、夢とか奇跡といった意味で同じ。


絵空事、奇跡、煌めきと、いくつか同じ意味で使われているものもあるが、上記のように、光が結束バンドかライブを指すかで、同じ言葉でも意味が違ってきます。
特に『新しい世界』は、光が何を指しているのかで、全然違う意味になってくる。

ではなぜ光が、1番が結束バンドで、2番がライブを指していると解釈したのか?
次はその理由を説明します。


③意味と意志

『日々の隙間に……』のところの解釈から、1番が結束バンド、2番がライブを指すと結論付けたと述べました。
1番の理由はここの解釈からですが、前後の文脈や、『光の中へ』『光の先へ』の違いから判断しました。

日々の隙間に意味を落とせ
日々の隙間に意志よ 宿れ


ここからのサビは、ぼっちの心情が書かれている部分になります。
そして『意味』と『意志』が、とても重要になってきます。

1番は『意味を落とせ』となってますが、これ、日本語としては変なんですよ。
意味に対して落とすという言葉は使いません。意味を成すとか、意味を持たせるといった使い方が普通です。

まず『意味』とは何のことなのか?
これは言葉の通り、ぼっちがバンドをやっている意味、理由を指していると考えます。
アニメで、ぼっちがバンドをやっている理由をモノローグで語っていたのが、第5話のオーディションの件です。

成長とかバンドをやっている理由について考えたけど答えが出なかった。答えを出せたのは、4人でバンドを続けたいという思いだけ。
今までは人気者になってチヤホヤされたいから、バンドをやりたかった。それが結束バンドに加入した後は、バンドをやっている理由が、みんなとバンドを続けたいからに変わってるんですよね。
ぼっち自身は、自分の変化に気付いてない感じだけど。

『日々の隙間に意味を落とせ』とは、このオーディション回の、ぼっちの心情を表していると思われます。


2番の意志については、「意思」ではなく、「意志」と表現していることから、強い決意を感じる。

意思
何かをしようとする時の元となる心持ち。
思いや考えという意味。

意志
物事を成し遂げようとする積極的な意欲。
強い気持ち、目標に向かう決意。


ぼっちが目標に向かう強い決意、意志を示したのが、第8話、居酒屋での虹夏との会話のシーンです。
虹夏に何のためにバンドをしてるのか問われ、「ギタリストとして、みんなの大切な結束バンドを最高のバンドにしたいです!」と答えています。

ぼっち・ざ・ろっく! 第8話

ここは、自分を主張することのなかったぼっちが、初めて自分の意見、意志をハッキリと口にした場面です。
ぼっちにとっても、物語を通してもターニングポイントになる場面だと思ってます。


1番の『日々の隙間に意味を落とせ』が、ぼっちがバンドをやっている理由、2番の『日々の隙間に意志よ 宿れ』が、目標とそれに対する決意を指していると仮定した上で、光と共通サビの部分の意味を考えてみてください。

光=ライブの場合のサビの解釈から、ぼっちがバンドをやっている理由の流れよりは、光=結束バンドの場合のサビの解釈からの、バンドをやっている理由の流れの方が自然だと思いませんか?
逆も然りで、ライブからのぼっちの決意の流れが自然だと思います。

以上が、私がここの解釈から、1番は光=結束バンド、2番は光=ライブという解釈に至った理由です。


④本当に好きな音

上手くいかなくても 前を向けなくても
このフレーズ この歌 本当に好きな音

理解不能であっても 世迷言としても
このスケール このドライブ 本当に好きな音

ここは、言葉の通りの意味で問題ないでしょう。
本当に好きな音とは、結束バンドまたは結束バンドでの音楽活動、バンド活動を意味し、ぼっちの結束バンドに対する強い思いが込められていると考えます。

1番はライブシーン、もしくはオーディションで、店長の星歌さんからアドバイスされてたシーンが目に浮かびます。
2番は、第8話の、ぼっちの決意が思い浮かびます。


⑤爪弾きと爪弾き

頑張ったって爪弾き それでも爪弾き
届けてみよう 不器用でも
束ねていこう 何処までも

どうやったって爪弾き それすら爪弾き
届けてみよう 不器用でも
奏でてみよう この日々を
束ねていこう 今を 明日を もっと きっと
何処までも

この小節で特徴的なのは、爪弾きつまはじき爪弾きつまびきの、同形異音異義語が使われている点だろう。
同形異音異義語とは、漢字表記は同じだが、読み方も意味も違う言葉のことを言う。
それぞれの意味を調べてみると……

爪弾き(つまはじき)
ある人を忌み嫌って、排斥すること
要は仲間外れにすること

爪弾き(つまびき)
三味線やギターを爪だけで弾くこと


この部分の歌詞だが、1番の『頑張ったって爪弾き それでも爪弾き』は、直訳でも意味は通じると思います。
しかし、2番の『どうやったって爪弾き それすら爪弾き』は、直訳だと意味がおかしくなるというか、ぼっちに当てはめるのは無理がある点はお気付きだろうか?

ぼっちを連想しながら、なるべく言葉の意味の通りに直訳してみます。
1番は、頑張ってもバンドを組むことはできす、ずっと孤独だったぼっち。それでも自分にはギターしかないと、ギターを頑張るといった感じでしょうか。
別段おかしいと感じるところはなく、むしろぼっちの過去を連想させると思います。

2番は、何をやっても仲間外れにされるけど、それすらギターに活かすといった感じでしょうか。
どうです?変じゃないですか?

そもそも、『どうやったって爪弾き』が言葉通り、何をやっても仲間外れにされる、爪弾きにされているというなら、誰から? 結束バンドのメンバーから?
それは、ぼっちの現状と全然かみ合わない。
じゃあ、学校の同級生から、社会から爪弾きにされているとすれば、ぼっちを連想することはできるが、この楽曲はバンドやライブを唄った歌なので、同級生や社会が相手というのは有り得ない。


「光の中へ」が発表された直後、ネットで感想を読み漁っていて、この部分も「爪弾きつまはじき爪弾きつまびきの言葉遊びが面白い。読み方も意味も違うのに、どちらもぼっちを連想する」という感想がありました。
しかし正確には、爪弾きつまはじき爪弾きつまびき、単体ではぼっちを連想することは難しいが、「頑張ったって爪弾き」「それでも爪弾き」になると、ぼっちを連想することができる。

だから、爪弾きつまはじき爪弾きつまびきの部分は、2番においては無視しても構わないと思って、解釈を進めていたが、思わぬ落とし穴がありました。
「頑張ったって爪弾き」「それでも爪弾き」が、あまりにも自然にぼっちを連想させることから、1番においては爪弾きつまはじき爪弾きつまびきの部分は、必要というかセットという認識で、解釈を進めていたのです。

しかし、前後の文脈やアニメと照らし合わせると、どうもおかしいというか、1番も2番も、爪弾きつまはじき爪弾きつまびきの部分は、解釈においては無視してもいいんじゃないかと思ったのです。

歌詞解釈における重要な部分は、
「頑張ったって」「それでも」
「どうやったって」「それすら」

の部分で、爪弾きつまはじき爪弾きつまびきの部分は、ぼっちを連想させるために必要だけど、解釈においては必要ないというのが、私の見解です。


⑥成長と理由

では、サビの最後の部分、どう解釈したかと言うと…。
ここも、アニメ第5話と第8話を指していると考えます。
前後の文脈やアニメと照らし合わせると、この場面しか当てはまるシーンが見当たりませんでした。

アニメ第5話のきのこヘアーの件から、ぼっちのモノローグが始まります。

成長って、正直なところよく分からない。
努力とはまた違う気もする。

《中略》

私が今、バンドをやっている理由。一晩考えたけど…。
今も人気になってチヤホヤされたいていうのは変わりない。
でもそれは私だけじゃない。この4人でだ!

結局、成長って何か分からなかった。
でも今私は、この4人でチヤホヤされて、バンドをし続けたい。虹夏ちゃんの本当の夢も叶えてあげたい。
だから、こんなオーディションなんかで落ちる訳にはいかない。このままバンド終わらせたくない!

ぼっち・ざ・ろっく! 第5話 ぼっちのモノローグ


第5話では、オーディションに合格するために、結束バンドのみんなが頑張って練習しています。
でもバンドとしての成長とは、努力とは違う気がする。頑張る=成長ではないんじゃないかと言っています。

結局、成長については答えが出なかった、分からなかった訳ですが、ぼっちの中で一つだけハッキリとした感情が芽生えていることに気付く。
4人でバンドを続けたいという思い…。

1番を解釈するなら、オーディションに向けて練習を頑張ってきた。バンドとしての成長についても、考えたが分からなかったけど、それでも、この4人でバンドを続けたいという気持ちだけは確かなんだ。
虹夏の本当の夢も叶えてあげたいし、オーディションなんかで落ちる訳にはいかないと、「ギターと孤独と蒼い惑星」で覚醒するまでの、一連の流れを意味していると思います。

そして『日々の隙間に意味を落とせ』と、ぼっちがバンドをやっている理由に繋がっていくと考えます。


⑦虹夏の懐の深さ

2番については、8月のライブ。
あれだけ練習して臨んだライブだったのに、委縮してまともな演奏ができなかった上、虹夏に自分がギターヒーローであることがバレた。

「あのバンド」で覚醒した時の記憶は、ぼっちには無く、満足のいく演奏ができなかった、ギターヒーローとしての実力を出せなかったことを、『どうやったって』と、自分を卑下してると考えます。

全然ヒーローなんかじゃないのに…。
それなのに虹夏は、「むしろぼっちちゃんで良かった」と言ってくれた。
そしてラストの、「でも私確信したんだ。ぼっちちゃんがいたら夢を叶えられるって。だからこれからもたくさん見せてね…ぼっちちゃんのロック。ぼっち・ざ・ろっく!を…」の台詞。

『それすら』は、本物のヒーローにはなれなかったが、それでもぼっちを認め、受け入れてくれる虹夏。
第1話の時から変わらない、そんな虹夏の懐の深さを表していると思います。

そして2番も、結束バンドを最高のバンドにしたい、そして虹夏の夢を叶えてあげたいと、結束バンドに対する思いが強くなったことと、自身の目標が明確になったぼっちの決意が、『日々の隙間に意志よ 宿れ』に繋がっていくと考えます。



5.まとめ

①結論

基本的には、結束バンドやライブを唄っている歌であることは間違いないです。
バンド活動やライブから生まれてきたぼっちの感情。
それが、4人でバンドを続けたいという思いと、結束バンドを最高のバンドにしたいという思い。

第1話、第5話、第8話、演奏シーン前後の場面の、ぼっちの心情が投影されていると感じました。
そして、これら全ての場面に虹夏が絡んでいるんですよね。

歌詞の中に直接的ではないですが、リリックビデオの歌詞の表記が、ぼっちと虹夏のイメージカラーであるピンクと黄色のみ使われている点なども考慮すると、虹夏への感謝の気持ちが込められているんだろうと思います。


「光の中へ」の視聴者のコメントには、ぼっちの成長を感じるとか、少し前向きな歌詞になってるといった感想がありました。
私自身も同様に感じました。

原作やアニメが、ぼっちが虹夏と出会い、結束バンドに入り成長していく過程を描いている訳だから、第1話、第5話、第8話と、ぼっちも少しずつ成長していっています。
そんなアニメのシーンが、詩に盛り込まれている訳だから、ぼっちの成長を感じるのも当然だと思います。

また、第8話のぼっちの決意が込められているという解釈が正しいなら、あそこはぼっちが初めて自分の意志をハッキリと口にする、ぼっちが一歩前に踏み出した場面なので、歌詞か少し前向きになった印象を受けるのも納得がいきます。


②余談

余談ですが、「星座になれたら」では喜多ちゃんにスポットが当てられ、今回の「光の中へ」では、虹夏にスポットが当たりました。

ネタバレにならない程度に話すと、アニメ本編の続きに当たる、原作の未確認ライオット編では、リョウにスポットが当たる回があります。
原作ではこの時に、「グルーミーグッドバイ」という曲が作られますが、アニメ2期があるなら、この曲はリョウにスポットが当たる曲になると思うので、どんな曲、どんな歌詞になるのか、今から楽しみにしてます。

と言っても、仮にアニメ2期が決まったとしても、放送されるのは、おそらく2025年くらいだと思うので、気長に待つとします。


③所感

今回は、YouTube動画にも上げている「光の中へ」の歌詞考察を文章化した訳ですが、まさかの12000字超え。
そりゃあ、約30分の動画を文章化する訳だから、そのくらいは行きますよね(汗)

文章にしようと思ったキッカケは、実はYouTubeに動画を上げた後、自分で見返してみて納得の行かない部分があったからなんですが、考察し直したり、文章を書いてる最中に自然と変更を加えたりして、動画とは少しだけ違うところあります。


書いてて思ったのは、私にはやっぱり動画より文章の方が合ってるなと感じました。
Blog全盛時代に、随分と記事を書いたのもありますが、動画は後から修正したくてもできないのに対し、BlogやNoteは、後からでも修正ができるのは良い点ですね。

Noteを選んだ理由は、今更Blogというのもなぁと思ったのと、自分でデザインやSEOをカスタマイズするのが面倒だったからです。
それにNoteは、会員数が右肩上がりで、自分でSEO対策をせずとも、最近のGoogleの傾向として優遇されているようですしね。
日記のような使われ方をされているBlogと違い、コンテンツの有料販売が特徴なだけあって、有意義な記事が多いと感じます。


当面は過去動画の、聖地巡礼動画の文章化をしていくつもりですが、あくまでメインのプラットフォームはYouTubeと考えています。
ですが今回、文章化することによって、自分の考えをよりブラッシュアップすることができたので、今後、考察動画を上げる前に、こちらで記事を書き、自分の頭の中の考えを精査するのも有りかなと思っています。

それでは、こんなにも長い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?