見出し画像

無知を知ってしまった時は覚悟の時。私がどうして自営業をしているのか




こんにちは、tamayuraの馬場です。今までカッコ悪いのが嫌で「苦労なんてしてませんよ!」とおすまし顔で誰かと話していたかった、不幸自慢なんてしたくなかった。後ろめたさの塊だったが、なんだかやっと受け入れられてしまったようだ。

綺麗な部分だけしか見せないのって面白くないな、不幸自慢じゃなくて面白い話にしよう。そして自分の記憶を辿って繋げたくなった。

私がどうして自営業をしているのか、理由はとても簡単で

自分ができることとやりたいことしかやっていないから、こうなっていた。


知性ゼロの根性論、謎の自信だけで始まった私はやっとそのことについてわかってきた。


そもそも、就職をしたことがない。就活という就活もしたことがない。
塾に行ったこともなく模試を受けたこともないので自分の偏差値なんて知ったことがない。チェーン店でのアルバイトもしたことがない。商業高校を出ているのに、簿記すら持っていない。

今まで家族、同居人、いろんな人と暮らしてきたが正社員をしている人と生活をしたことがない。びっくりするくらいに一般社会との繋がりがなかった。個人事業主、と言わずに「フリーランス」と言えばなんとなくしっかりしてそうな感じがするが私はそれ以外知らないだけだった。


無知の知

その人と対話をしていて私にはこう思われたのです。
「この人は、他の多くの人間たちに知恵ある者だと思われ、とりわけ自分自身でそう思い込んでいるが、実際はそうではない」と。
私は帰りながら、自分を相手にこう推論しました。
「私はこの人間よりは知恵がある。この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。どうやら、なにかほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で」と。




知らないことを自覚する、そこからやっと始まり。ただ始まってしまうと辛いものだと思う。若気の至って馬鹿じゃないとできないんだよね、なんの情報も知識もない、その上での謎の自信と攻撃性。
自分の足らなさや不出来さを知ってしまった私はもう「若気の至」れはしない、無知が罪であろうともう戻れないあの頃の私は馬鹿でかっこ良くて今すぐ抱きしめてやりたい、そして「何も知らないからできると思ってるんだ、すごく素敵だよ」と伝えたい。何も知らない私は褒められたと喜んで頑張り始めると思う、いつかその愚直な努力で無知を知ることになるんだ。

反対されないのは肯定ではない


高校3年生、商業高校の就活は夏休みから始まる。
私はその頃全然学校に行っていなかった。弱った頭で考える前にもう即答していた。
「ヘナタトゥーやるので、就職も進学もしません。」
先生は全然学校に来ない私の答えに特に驚きもせず「じゃあ、もう進路の集会は来なくていいから先に帰っていいよ」母には事後報告をした。甲高い声で「なんでもいいけど卒業だけはしてよね」と否定はされなかった。

今思えば、私が絶対に自分の意見を通したくなったり、即答できることは正しいと思うようになったのはここからだと思う。本当は期待をされていなかったり自分に興味がないのではないかと思うような対応をされても当時は「止められなかった、私は正しいのかもしれない」とか「自由にさせてもらえてる」と、肯定されていると思っていた。

例えそれが逃げだとしても私はなんだって綺麗事にできる。自信に”謎の”なんてない、適当な理由をつけて自分の意見を正論に仕立てればいい、とてもわがままなルーティンが始まってしまった。



後悔は伏線だと思う


結局高校はなんとか卒業はしたが、1年くらい遊びに行っては引きこもりを繰り返して本当に何もしなかった。
その間にタトゥーを彫った。なんかもう死ぬような気がしてそれならタトゥー彫ってもいいかあ、今思いついたから今日やっちゃおう!
近所の、そういえばここにタトゥースタジオあったなという場所に向かい、耳の軟骨部分に星とリンゴをやりたいと相談し未成年だから保護者の同意書が必要と言われ持ち帰る。母は「別にいいけど見えないとこにしてよね」と渋々記入、再度タトゥースタジオに向かうが何故か直前になってでかい星を追加する。
今思えば「当日突然来た18歳の女がこんなとこにファーストタトゥー彫りたいって言ったら止めろよ」と思うが、この時も誰にも止められることなく私の決断は成り立ってしまった。



思い立った2時間後には取り返しのつかない場所にタトゥーを彫った上に「星は何個でもいいです」とか言っていた、とてもじゃないがよく考えているとは思えない私のタトゥーだがそれも後付けでいい感じの理由はある。
(ちなみに耳裏は20歳になった時に彫りました。成人したしと思って。)

「ヘナタトゥーやって生きていくという覚悟があったから、自分が辞めてしまわないように。私はメンタルが強くないから自分に縛りを持たないと」
「もしこんなところにタトゥーがなかったら、普通に就職して社会に出ていたかもしれない。ここまでしがみついてきたのはこのタトゥーがあったから」

なんて言えばなんだかいい感じの話にもできる。これは綺麗事だけど、どうにかして美談にしないと私は耐えられないしあの頃の自分の辛さが報われない。
いつかの自分が苦しんだことを勝手に伏線にして回収して「意味があったこと」にしないと他に誇れることが見つからなさすぎたのだ。

それからしばらくして、やっと「ヘナタトゥーやるから」の目標に対して動き出したかと思えばジャグアタトゥーを初めてそっちがメインになりお客さんを取り始めてから3ヶ月で1ヶ月の来店は100名を超え、マンションを借りてサロンオープン。それからも突然の決断をし続けて色々とあったが移転や休業を繰り返してtamayuraを名乗り始めてから7年目、ヘナを初めて描いてから10年が経った。


言われた時にはわからないこと

一度だけ私の決断を止めてくれた友人がいた。
迎えに来てくれて一緒に電車で家に行った。コーンがたくさん入った甘口のカレーが用意されていて、お風呂を沸かしてくれドライヤーをしてくれた。
布団を敷いてくれて寝て起きて、甘い梅干しが入ったおにぎりを持たせてくれた。サロンに戻って、仕事をして、おにぎりを食べて泣いた。
その時に言われたことは絶対に一生忘れないだろうし今は「あの時いうことを聞かなくてごめんなさい、やっとわかりました」と思っている。

何か決断をするときに
眠い時、お腹が減っている時、寒い時(寂しい時も)にはしてはいけないよ。


彼女も誰かに教えてもらってことだと言っていた気がするが
私も今となっては同じことを誰かに言っている。ただ、弱った人にはすぐにはできないな、やっとわかってしまったがわかってよかった、時間がかかってしまったけどじゃあもう大丈夫だなと思う。


決断と覚悟は違う。

23歳くらいの時に一度自分のデザインの知識のなさが不安になって何社かエージェントを使って面接を受けたことがあるが、専門学校を出ていなければ実務経験がない私が受かる仕事はなかった。
厳密にいえば1社面接は通ったが個人事業での契約だった。「大体早くて1年くらいは下積みでその間の月給は売り上げが立っていないので下積み期間が終わってから売り上げた金額でそれまでにもらった給料を返済する、そこからは完全歩合。週休1日、徹夜での泊まり込みや休日の呼び出しあり」というそこまで実情を伝えてくれたから辞退したが、結構厳しい条件だった。

最初から気づいていたつもりだった、私は簡単には社会に出られる“経歴”がない。
それは今まであまりにも社会に順応する努力をして来なかった自分が選んだ道だった。例えばそれが私が普通に会社員をできる性質を持っていたとしても。
その時改めて自分が社会的弱者であり、それならば今の自分が戦える土俵で戦うしかないんだと認識ができた、私は選べる立場ではなかった。全てをひっくり返してやり直す体力も気力もない。でもそれは私が選んできたことで自分にかけてきた枷が外れ、決断を繰り返してきてやっと覚悟ができた時だった。


やりたいことやったもん勝ち”青春なら”

できないことがあってもいいし、できることをやればいい。
好きで仕方がないことを苦しみながらやるよりも
好きじゃなくても得意なことをやったほうが人生はスムーズだ
実力や経歴なんてなんとでもなる、賢くなくても根性があればね。

ただ自分が戦える土俵だけは間違ってはいけない。
無知を知ってしまった時は覚悟の時、決断をするときはたくさん寝て食べて、誰かに話を聞いてもらおう。肯定されたとしてもその意味について考えよう、自分の中の正しさを選んだなら、責任はあなたにある。大人になるって自分で責任を取れるようになることだ。やりたいことやった者が勝つけど、いつか大人にならないと自分に負ける。
好きなことをして生きていく、ということを知った時にはきっともう抜け出せなくなっているから。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?