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書くということ

noteを書き始めて1ヶ月が経った。数日に一度くらいの頻度で、書きたいことを更新している。

書いていて思うことは、頭や心のなかにあるものを「見せたい形」にすることの難しさ。最初は、ただ表現する、とりあえず人に見せることが出来る形にすることが目標だった。

noteを書き始める前は、読者としてnoteを読んでいた。読んでいて心地よい文章に出会う度に嬉しくなって、自分も少しずつ書くようになってから、その人たちへの書き手としての憧れが芽生え始めた。わたしも、読んでいて心地よい文章を書きたい。

心地よく感じるリズムや、ちょうど良い間、その人らしさのある言葉選び。それらは何処からやってくるのだろうと思う。

特にリズムや間は、もしかしたらもともと備わるセンスが生み出すもので、その人自身の空気感なのではないかと思う。文章の雰囲気には、性格よりももっと、その人の感覚的なものが大きく関わる気がするのだ。

魅力的な文章を書くわたしの好きな物書きさんたちは、たぶん、おそらく、周りから少し変わっていると言われることがあるのではないかと思う。もしくは、独特とか個性的と言われるような。何故なら、記憶力や観察力、そして想像力がものすごく豊かだからだ。

テープレコーダーを普段から回しているの?と思うような会話の再現率、台詞のリアルさ。情景が頭に浮かぶ細かくて丁寧な描写。ユニークな発想。変わった視点。

表現力に加えて、そういうものを感じる。体験したことがないことでも、「あ、その気持ちは少し知ってる。」と思わせる箇所がある。続きを読みたくなる。そして何より、文章のなかにいるのが心地よい。まだここにいたい、と思う。

鈍感なほうがたぶん生きやすい。そんななかで、繊細な感性で日々を紡ぐ人を見ると、なんだか安心する。少し不器用で、愛おしくなる。文章からその人が好きになる。

勿論、直接お会いしたことはないので、わたしが勝手に憧れや想像を膨らませているだけかもしれない。でも、時間をかけて、「あの時、あのこと」を、普通の人の何倍も丁寧に見て書いているその人たちのことを、尊敬の眼差しと、恐れ多いけど、足元いや足先くらいでも、その人たちの文章に近づきたいと思いながら見ている。

読みやすい書き方、ボキャブラリーを増やす、努力出来ることはたくさんある。ただとりあえず、書き続けてみることが一番大切なのだろうなと思いながら、今日もこうしてnoteを書いている。




いただいたサポートで、お菓子を買います。 悲しくなった時にそのお菓子を食べて、また書いたり読んだりコツコツ紡いでいきます。目をとめてくださってありがとうございます*