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「生きてるだけで人を幸せにできる」才能

3月下旬から2ヶ月に渡り、いのちの物語に出会う森リトリート「モリノムスヒ」を開催してきた。

モリノムスヒは自然たちとの対話を通じて必要なものを受け取りながら
自分の内面に向き合ったり前に進むきっかけや癒しが起きたりするリトリート。

(咳が出たりさっきまで不調だったところがピタリと治ったりもする)

私は主催者だからサポートする側だと思っているのだけど
何故かスタッフ側もそこにいる全員に意味のあることが起きるという不思議さがある。笑


今季のモリノムスヒで
私が思い知らされた一番のことは

「生きているだけで人を幸せにする」

ということ。

昔からも言われていたことではあったし
薄々気づいてはいたけれど
私はこれがすごく苦手だった。

だってそれって…役立たずじゃない?
あったら嬉しいけど、なくてもいい。

「役に立たないと(認められないと)生きていてはいけない」という思い込みが子どもの頃から強くあった私には
そのことを受け入れることが難しかった。

だからといって、役に立つ自分になりたくて
求められるくらいには有能にはなったけれど
そこをどんなに褒められても全く満たされない・・・

自分はどうなりたいのか
どう在りたいのか

それがわからなくなってしまった頃
3週間以上続く不調を久しぶりに体験した。



寝込んでしまうと本当に何もできなくなる
これが長引くようになったら、どうやって生きていったらいいんだろう?

そんな不安や絶望感が
じわじわ襲ってくる中で思ったのは


そうなった時私にできることは
生活することと生きることだけ。

なら

「生きてるだけで人を幸せにできる存在になりたい」

そう願ったんだ。

それがどういう形かはわからないけれど

人はそのままの自分で
生きていけるようにできている

生きていくために必要なものは
既に持って生まれてる

なら私も
今できることで充分生きていけるはずだから

それを諦めずに自分のために見つけようって
今春のモリノムスヒが始まる直前に思ったの。

その直後くらいからかな
大きな変化が起き始めたのは。

「そこにいてくれるだけで幸せな気持ちになる」

「機嫌がいいだけじゃなくて、落ち込んだり焦ったり不安になってる時でさえ、あなたを見てると自然と癒される」

「あなたのエネルギーや世界観を浴びたい」

「食べてる姿とか眺めていたい」

「料理しながら歌ってるところ見たい」

「生きてるだけで可愛い」

「面白いとか関係なく存在自体に需要がある」

「生きててくれてありがとう」

こんな言葉をそこかしこから浴びるように掛けてもらうことが突然増えた。


赤ちゃんや若い子
かわいい動物とかならまだわかる。

だけど私はデブだし若くもない…
なのにそんなことある!?

だけどあんまりにも友人が
私の才能について熱弁してくれるものだから

ファンサということで恐る恐る
食べてる動画や何気ない写真をアップしてみたところ…

想像以上に好評のDMがいっぱい届いて内心ビビる。笑

えっ、本当にこんなことでいいの!?
本当にただ生きてるだけだよ!?

最初こそ怖いし恥ずかしい…なんて思っていたけれど

私がただ生きてるだけの姿や
世界観でこんなに喜んでもらえるなら…

本当にこれが自分の才能か確かめたい
ファンサとしてちょっと本気でやってみたい、って火が付いた。



私は自分の命の輝きを
めいっぱい放ちたいし
才能があるならそれを最大限に活かして
輝きたい

私の命の輝きに共鳴することで
自然もヒトもその存在の持つ命の輝きを
めいっぱい引き出したい

そして自然とヒトを通じて
自分と出会う喜びや
感じている世界の美しさと愛おしさを
物語にして伝えたいんだ。

だから

私が生きているだけで
その世界観を伝えていくだけで
どれだけそれらを実現できるのか

ファンサという一円にもならない
何の役にも立たないことをやることで
どんな世界や可能性が広がっていくのか

確かめてみたくなった。


だから、やってみるよ。

それにどうせなら
役に立つから集まってくれる人より

役立たずなのに存在が好きってだけで
集まってくれる人たちと
面白おかしく生きる方が

楽しそうだからね。

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