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嬉しいからと泣いて、さびしさに気づく

Twitterをあけたら、友人に向けての「おめでとう」メッセージがいっぱい流れていた。cakesクリエイターコンテスト2020の入賞発表の翌朝。

定期巡回しているnoterさんのお名前が、いくつも入っていて喜んだ。直接、会ったことのあるともこさんも入ってた!いっそう、嬉しい。

嬉しいね。なんだか泣けてきた

Twitterのなかにコンテストへの「おめでとう」メッセージが、つんつんと流れてくる中で、わたしの目にも涙浮かぶ。気づいたら、しょぼしょぼと泣く羽目になった。嬉しいのとさびしいのが、混じりあってどうしようもなくなる。

自分が読んできたnoterさんが、公に認められた感覚って、こんなにどきどき喜ばしいのか。そして、さびしくもなるんだ。

身近にいた人が、急に遠くなってしまうような感覚がした。ほんとは、そんなことないのだろうけどね。

遠くなってしまうと感じるのは、わたしの心。相手は、これまでと変わらず作品を置いていってくれる。読み続けることには、変わりないはずなのに、わたしが勝手にさびしくなってる。

ひとりだけのものにしたかったのに、たくさんの人に読まれるさびしさ。贅沢で自己中心的な独占欲。
でも、たくさんの人が読んで、あの人たちの作品を好きだと感じてくれる喜びもある。スキという気持ちに支えられて、もっと素敵な作品を見ることができるかもしれないという期待も出てくる。

ほんとにごちゃごちゃな、わたしの心。さびしくて、うれしくて、でも喜んでいて……マーブル模様みたいにぐじゃぐじゃしたまま、感情が高ぶる。おまつりの中にいるみたい。

おまつり気分の裏に、さびしい気持ち

高ぶった感情の奥に、ちんまりと隠れるようにして。自分の後悔か野望の種が沈んでいた。

わたし、ほんとうは羨ましかったんだ。コンテストに応募するというスタート地点にすら、おびえて立つことがなかった自分をかなしんでいたみたい。

あの温度が宿る作品。わたしも作れるようになりたい。というか、伝えたい思いや書く理由をくっきりと持ちたい。
でも、そんな思いを持つのは、おこがましい気がして、まだうじうじしてる。コンテストに応募することは、まだ無理だと思ってる。

だから、わたしはコンテストへの応募をした人たちを尊敬する。羨ましくも思う。

コンテストに入賞した人たちは、
応募を決めて作品を書き上げた人たち、で。
伝えたい思いを、よりよい形にしたいと書いてきた人たち、で。
スタート地点に立って、コンテストへの応募を成した人たち。

みんな、かっこいいな。それくらい、わたしも勇気持って書けたらいいのに。書きたいな。

伝えたい思いってなんだろう。

まだ、ここのところで、わたしは足踏みしているみたい。書いているうちに、見えてくるのかもしれない。それとも、参加すればわかるのだろうか。

自分で自分をわからないと感じていることを、さびしく思った。

でも、やっぱり嬉しい

好きで読んできたnoterさん達の名前がならんで、ほんとに嬉しい。そして、いいなと憧れてたnoterさん達が、「おめでとう」をやりとりしているツイートを見せてもらえることがしあわせ。

書いている方の人柄を想うことで、いつも読んでいるnoteの行間にふんわりと色がついてみえる。よりnoteよむのが楽しみになる。

そして、一番は。ともこさん、おめでとう! ほんとうに嬉しい。次に会えるのは、どこになるかわからないけれど、たくさん、おめでとうをつたえたい。

(ともこさんがご自分で入賞作品を紹介しているツイートを貼らせていただきます)

「淡々といつもどおり」が、装うものでなく日常に戻ってきつつあることも、喜ばしい。よかったね、ともこさん。そんなこんなも、まるっとふくめて。おめでとうございました。


そして、入賞されたみなさまにも、本当におめでとうございます。名前は一覧では見えないけれど、応募されていたみなさまにも、おめでとうございますな気分でいっぱいです。かっこいいなと思ってる。

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