短編 ブロッコリー国の栄枯盛衰


世の中は不公平で残酷だと思う。

同じような形をしているくせにあじさいは食べられなくてブロッコリーは食べられてしまう。あじさいは庭に植えられ、ブロッコリーは茹でられる。一つだけやっかみを言えるとするなら、あじさいは汚くしおれて命を終える。食べられることのないかわりに、みすぼらしい姿をさらす。ブロッコリーはその姿が一番輝き充実している時に、摘まれ、食べられていくんだ。

どちらが幸せなのか僕にはまだわからない。そのことがわかるには、僕はまだ幼すぎるようだ。

僕の記憶にある昔の話をしよう。

その国は緑豊かな、みずみずしい国だった。僕はその国の王子だった。人々は陽のふりそそぐ下、歌い、笑い、そして大いに食べた。小さな小さな緑の花が大量に咲いている。それを摘み取ってはいただくのだ。その花はいくら摘んでも尽きることがなかった。人々が喜ぶ姿を見て歩くのが僕の楽しみだった。

幸せの歴史と記憶というものは、いつだってある日突然途絶えてしまうものだ。王位継承を翌朝に控えたその日で僕の記憶は途絶えている。実際のところ何がいったいどうなったのか、あの国の誰にもわかりはしない。何の前触れもなく僕たちの食べ物であった花が枯れた。朝目覚めたときには全滅だった。空が黒い雲に覆われていた。地面が割れた。裂かれた、といったほうが正確かもしれない。人々は離れ離れになり、そのまま地の底に消えていったように見えた。僕の記憶はそこまでだ。

僕は数ある花の中であじさいだけが大嫌いだ。そのことに気づいた母が面白い話をしてくれた。母は僕を産むまで、なぜかカリフラワーだけが全く食べられなかったのだという。こんなにおいしいものだったのに、不思議だよねと母は笑う。そういうとこお母さんに似ちゃったんだね、大丈夫、気にしない、気にしない、と。

たぶんそういうんじゃないんだ、と僕は思ったけれど、どう表現したらいいのかわからなくてただあいまいに笑ってみせた。

昔の記憶がもう一つある。僕はたった一度だけ、魔法が使えたはずだった。なぜ、はずだったとしか言えないかというと、使う機会が来る前に僕の記憶が終わってしまったからだった。王の血を引くものだけが使える、否、使うことを許される、禁断の魔法だ。使ったあとのことは教えてもらえなかった。それでも人が口にするのもはばかられるほどに恐ろしいことが使い手に降りかかるらしいというのは、なんとなく理解していた。だから王の一族にしか使えない。王とは常に人々の犠牲者であり生贄であると、僕は常日頃から教えられてきたものだ。

世の中は不公平で残酷だ。だけどたった一度だけ、誰かとその運命を取り換えることができる。つまりブロッコリーだってあじさいになれるということだ。その代わりあじさいはブロッコリーになる。僕はその魔法を使える。たった一度きりだけど。

僕はあじさいが嫌いだ。だけどもし目の前に、あす命尽きるかもしれない大事なひとがあらわれたなら、僕は綺麗なまま奪われる命より、枯れしおれてもその命が続いてくれることを願ってしまった。

たまたま目についた、見知らぬあじさいの命と引き換えにだ。

そしてその罪は一生をかけて僕が負う。どういう形になるのか、今の僕にはまったく見当がつかないんだけれども。

僕はその女性に声をかけた。ブロッコリーでもカリフラワーでもない、みょうちくりんな食べ物を手に取った、今日初めてあったばかりの、全く知らないその人に。



武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。