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短編 ロマネスコ偽談


ロマネスコをじっと見つめていた。

食べられるはずなのは頭ではわかっている。食べられないものを売るようなお店じゃない。農家さんのフルネームとともに、くるっとビニールでくるまれたその黄緑の化け物に今日もまた釘付けになっているのに、小さな一歩が踏み出せずにいる。

こういう形をフラクタルというらしい。じっと見つめていると目が回りそうになる。ぼこぼことした円錐形の突起物が表面をぐるりと覆っている。爬虫類の肌を覆う鱗のようでもあるし、ジャングルの奥深く、緑くろく茂る下草をかき分けたところに見つかる珍奇な実のようでもある。やっとの思いで見つけた食糧らしきもの、命をかけてでも口にすべきか、すでに限界に達した飢えを満たす勇気を、今ここに。

さすがに失礼だなと我に返る。で、どうするんだい、買うの、買わないの、と自問する。

「裏からひっくり返して食べるんだよ。そしたら気持ち悪くない」

腰の後ろあたりから急に声がした。いつの間に気配なく近づいたのか、面識のない、小学生くらいの男の子がつるんとした、薄緑色のマッシュルームみたいなものを数個、ころころと紙のお皿に持っていた。

「ひっくり返して茹でただけのものだよ。騙されたと思って食べてみて」

これロマネスコ?と尋ねると男の子はこくんと頷いた。半信半疑でひとつ手に取り、薄皮のような何かをぺろんとひっくりかえしてみた。ロマネスコのあのざらざらな肌があらわれ、思わずひっと声を出してしまう。

「見たらだめ。見たら食べられなくなってしまう」

そう言われて、すぐに元のマッシュルームに戻す。ロマネスコ、こんなふうになっていたのか。手のひらにのせ、しげしげと見つめる。ひっくり返してしまえば、つるんとしてるし、ころんとしててかわいいな。

「食べていいの」「どうぞ」

元の形は考えない。おそるおそる口に入れ、かみしめる。

ぷちん。

ぷちん???

次の瞬間、私は真っ暗闇の空間にいた。何も見えない。慌てて手探りするとすぐさまつるんとした壁のようなものに手が触れた。その壁はとても低い天井とつながっていた。天井というより、とがった屋根のようだ。思っていたより狭い空間にいるようだ。いったい何が起こってしまったのだ。私は途方に暮れた。途方に暮れたまま、私が今なぜここにいるのか、どうしてこんなことになってしまったのか、疑うことすらしていないことに気づきもしなかった。

唐突に、かつ猛烈な空腹を覚え、私は本能的にその壁にかじりついていた。口から直に、ただがじりがじりと、前歯だけを使って想像していたよりもやわらかく甘いその壁をかじり取り、丸飲みしては前へ前へと進んでいった。体全体がぬめりながら先を目指していくのが分かる。どうしても食べたいわけじゃない、ただ本能がそうしろと命令をする。前へ前へと掘り進んでいくと、急に視界が明るく開けた。

黄緑色のぶつぶつが私をぐるりと取り巻く。かさっとした透明なビニールが頭にぶつかる。ビニールの先には見慣れたお店のレイアウトと、さっきまで私が立っていたはずの場所に、にやりと笑う男の子の姿が。

「虫がいるくらいのほうが安全でおいしいのよ」

男の子の母親らしき女性が、ぬめぬめとした私を取り囲む奇妙奇天烈な黄緑色のフラクタル荒野を軽々と持ち上げカゴに入れた。男の子の手を取り、親子はそのままレジへと向かっていった。




武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。