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2020/10/30-31(土)悪口だけでつながらないように


考え事がまとまらないので、備忘録的な走り書きを。

同じ書くなら「好き」なことをなるべく書こうと思います。でもなぜでしょう、「嫌い」の持つ負の力に押されるだけで、筆というのはまあなんとなめらかに進むのか。

誰かに伝わるように「好き」を上手に表現しようと思ったら、様々な角度から光を当て、その輝きや移ろいや、匂いや手触りや空気感や、手持ちの限りのありとあらゆる表現力を駆使する必要があります。

でも「嫌い」を表現するのは簡単。テンプレートに従ってそれらしいものを並べたてただけでほら「嫌い」な理由のいっちょうあがり。時候の挨拶文を作るのと同じくらい簡単よ。

「嫌い」なんてしょせんその程度のものなのになぜ私たちは安易に悪口に乗っかって「嫌い」を共有してしまうんでしょう。

「嫌い」は分かりやすくて見やすくて単純、知識も何も必要としないから、誰とでも共有できてしまいます。だから「嫌い」だけで人は簡単に仲良くなれます。

「好き」はそうはいきません。「好き」を共有するのは案外難しいものです。好きになるには実はたくさんの知識が必要だし、パターンも多様ですからね……

より多くの人とつながるための手っ取り早く麻薬的な方法は、誰もが一度は見聞きしたことのあるキャッチ―な言い回しを使って悪口を言うこと。もう聞き飽きたよってくらいの古い言い回しのほうが、たぶん、効く。

悪口ってほんと、低コストなのに有益で魅力的。

悪口を「反対意見の口封じ」として安易に取り締まるのではなく、かといって「表現の自由が行き過ぎたもの」などという過剰評価をするのではなく、なんていうのかなあ、こんなもん、反対意見でも表現の自由でもない、ただの安っぽくて粗悪な「嫌い」の大量生産品なんだと正しく認識したうえで、安全に対処する術を身につけないといけないなあ、と思うのでした。

この時代、強烈な悪意から大事な人たちを守るには、と折に触れ思うこと。



武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。