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2023/4/26(水)ダメダメの近況

 
 いやはや。

 目標というものを失うと人はここまで無気力になれるのかという日々をここ1年近く過ごしております。
 それでも日常の最低限をこなしている私はえらい。
 人としての道だけは見失ってはいけないという使命感だけです。

 本を読むという行為も「今の状態からよりよい状態に変わりたい」というモチベーションが根っこにあるからこそ読めるというもので、これ読んでどうなるよ、とか、この知識得て何になるのさ、とか少しでも疑いを持ってしまったが最後もうどうでもよくなってしまうという。
 純粋な知識欲や好奇心だけでは(この二つの強さには昔から自信があったのだけれど)もうどうにもこうにもならないところまで来てしまいました。

 この状態に耐えきれない人たちが、生きる意味をこじつけるために両極端の活動や視野の狭い冷たい思想にのめり込んでいってしまうのねという。
 あるいはさらに解像度粗く生きている人たちは。「あなたは攻撃されてもしかたないよね」という人を定期的に世間様が探しだしてきてくれるので、そのつど公開処刑に参加することで「私は良識ある人、こういう人たちを叩ける側の立派な人」という生存許可を己の中に再確認するのでしょう。

 世の中は一見不条理。だけどちゃんと落ち着くところに落ち着いていく。
 身勝手な因を作ったら本来現れるはずじゃなかった果も必ず実を結ぶ。
 長く観察していけば必ずそうなる。
 スパンがあまりに長すぎて、それこそ私たちが生まれるずっと前だったりするから私たちが因を見失っているだけのこともあるんだろうと思っています。そういうものが一見不条理に見えている。

 逆に一見因果関係に見えてるものが全然そうじゃないとか。
 幸せに安泰に暮らしている人は生きてる間に不幸の巡りあわせを回避できただけの人かもしれず、どうしてこんなに嫌なことばかりという人はたまたまその巡りあわせに生まれてきてしまっただけだったり。

 そういうことを思うとね、何もかもがどうでもよくなってきてね。
 いやいやこれはこれであかん。

 先日スマホにも青空文庫のアプリを入れました。芥川の『芋粥』を久々に読みましたんでこれをネタにnoteを更新しようとは思っております。『鼻』と間違えてチョイスしたのは内緒(※この物語をビジュアル的に覚えている人なら、なぜ間違えたのかすぐにわかってもらえるはず)。

 日本のニュースがつまらなすぎる上、記者たちの解釈能力もそこまで信用してないので、最近は海外のニュースを原文で読める&聞けるようにしたいと地味に頑張っていたりもします。でも結局はめんどくさくなりブラウザの翻訳に頼ってしまうのでなかなか英語力が上がりませんね。
 いやあよその国のゴタゴタはしょせんどこか他人ごと、こんなに気楽に読めるんですね。これが自分の国のことならとても冷静な気持ちで読めないです。
 ということは。あーなるほど、ニュースを読むのに客観性ってなにげに不可欠なんだなと思いました。日本のニュースはやたらめったら「ひとごとではないのです!」を強調してきますけど、本当は逆だね。自分ごととして読むと簡単に誘導されちゃうんです。そして私は日本のニュースのそういうところが大嫌い。まあこれ海外でも同じなんだろね。

 でもこれらとて「でもあなたが英語わかるようになって世界情勢わかるようになってどうすんの」とか「芋粥の感想書いて読んでもらってそれで何か変わるの」とか考えちゃうと、ほら一気にやる気が。

 日常生活に集中できる人は幸せだけど、それができない人の場合、どうやって日々の自分を許して生きていけばいいんだろう。

 なんだかんだで人ってのは、自分自身の正当性を確認してくれるものや、人からのなんらかの許しがないと生きていくことができないから、そのための言い訳になるものを探し出し自分を捧げて生きていくことに疑いを持たなければ持たないほど、社会的に成功していけるのでしょう。

 自分の今もよそさまの今も、あれもこれもどれもこれも。
 先進国ならではのとんでもなく贅沢で下らない現象なんだろうなあ。


武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。