頼まれてもないのに。その54(令和六年大相撲春場所を振り返る)
今場所を期に、しばらく大相撲について語るのはやめようと思います。
純粋に楽しむには不純物が多すぎて。
今まではエンタメのため、空気悪くしないため、人の楽しみを奪わないため、それなりに目をつぶってきたこともいっぱいあったけれど、もうそろそろそういうのいいかなって。
私は内部の人でもなんでもないから、表に見えてる一部の中でも、さらにほんのわずかの部分しか見てないただの素人です。
一部だけ見れてない人間のくせにわかったふうに論ずるなと言うのであれば、もうそれは「お前たちは無知なんだから俺たちの与えたエンタメを無条件に受け入れてただただ楽しめ、そして黙って金を落とせ」ということになってしまいます。
大相撲に限らず、スポーツがそういう類のものへと、上から下へと娯楽を提供してやってるという類のものへと堕落してしまうのであれば。
そしてその思い上がりの中、内部は内部で才能、環境ともに恵まれた一部の者たちがその他大勢のうだつのあがらない人たちを踏み台に栄光と金銭とを手中におさめる構造が完成してしまうのであれば、そんなものをなぜ庶民である私が応援しなければならないのか。
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宮城野部屋の問題。
公になっている事柄だけでも十分に問題のある話であり、非公式な形で暴露されている問題点がすべて本当であったとしたらこんなことで済ませてはならない話でもあります。非公式なものはあくまでも「そういう話もある」というくらいで聞いておかねばならないのですけどね。
親方になってからのテレビ解説、ネットを見ていると好意的な意見が多いのですけれど、もちろん技術的な話は目からうろこのものも多くとても興味深かったのですけれど、いくぶん技術論に偏っているなあという感覚はもとよりありました。もっと本質的なこと、この親方は弟子たちに教えられているのかなって。
それと炎鵬のこと。首を痛めて、というどころではなかったという情報、これは公の記事で出ています。
私はどこかで「白鵬というお相撲さんは弟子たちを最後の最後には守ってくれる人である」と信じていた部分があり、もちろん力士の世界は力士一人一人の気持ちややりかたが最優先される過酷な世界だというのも理解してるつもりではありますが、だけどどうしてこうなる前に「こんな相撲ばかりとってたら首がだめになる」ということを指導できなかったんだろうかと。
石浦も首を痛め、引退に追い込まれました。小兵の力士を二人面倒見たのはいいけれど、もちろんそこまで親方が背負う必要ないかもですけれど、同じ箇所のケガをさせてしまうというのは、親方としてどうなんだろう。
そこに北青鵬です。
最初こそ物珍しかったものの、次第に「この人は本当に相撲を理解しようとしているのだろうか、相撲を愛し、楽しんで取っているのだろうか」という疑念がわいてきて、応援する気持ちが次第に失せていきました。
そして不祥事が発覚。
宮城野部屋という部屋自体を閉鎖することの是非は私にはわかりません。
だけど少なくとも現時点の宮城野親方には弟子たちを指導する資格はないと思います。彼もまたなんのために力士を育成しているのだろうかと。
一言で言えば邪道の相撲道。
晩年の白鵬が横綱としての相撲道を迷走したように。
だから彼に指導を続けさせちゃいけない。違うものを教えてしまうから。
でもね、同時に私は相撲協会の面々に怒っているのです。
なんで白鵬に皆怒れなかったんだ?注意してあげられなかったんだ?
横綱だから? 番付順が絶対だから親方衆とて下の俺たちには何も言えない?
そんなもんなら番付なんか廃止してしまえ。
次世代を担う一人の人間の教育を怠ったんだ。
間違ったことをする恐れがあるうちに注意して直させる、ではなく、本当にまずいことをやったときに追い出せばいいのだ、くらいに思ってたんでしょうか。
そしてあまりに迅速に宮城野部屋閉鎖を決めたわりには。
その前にも出ていた陸奥部屋、鳴戸部屋での不祥事。これらはどうなったんでしょうか。大した問題ではなかったんですかね、虚言か何かだったんですかね。
どうしてこんなに対応が違うんでしょうかね。
相撲協会にちゃんと報告してたかしてないかの違いなんでしょうかね。
相撲協会の人たちは嘘つかれるのがなによりお嫌いなのだということは、これまで下してきた力士への処罰の違いからもわかりますけどね。
そして場所後に出てきた「宮城野部屋を伊勢ケ濱部屋に吸収する案」。
あくまでも案であり、今後どうなるかわかりませんが、もう何を考えているのやら。
ただでさえ今、伊勢ケ濱部屋の幕内力士の数の多さ、有望力士のスカウト力の強さなど、部屋格差、バランスの悪さが顕著だというのに、そこに宮城野部屋の面々足しますか。最強軍団の誕生ですね。チーム伊勢ケ濱できちゃいますね。
しかも伊勢ケ濱親方だって良くも悪くも力士の意思を尊重しますよね。結果的に横綱になれたからよかったけれど最悪の状態になるまで照ノ富士をずっと出場させてたのはよくなかったと今でも思ってますよ。そして今回の尊富士に出場を許可させたのも。
伊勢ケ濱さんの場合、すべてが結果としてよいほうに出てるから肯定的に受け止められてるだけで。
むしろそういうのを同一門の白鵬は見てきたんじゃないですか。学んできたんじゃないんですか。伊勢ケ濱さんのほうが深い考え、成功の見通しと覚悟をもってやっているとは思いますけどね、うわべだけ学んだのかもしれません。
これ以上この問題を追い続けると、現役時代から大好きだった伊勢ケ濱さん、横綱照ノ富士をはじめとする大好きだった伊勢ケ濱部屋の力士のみなさんのこともよく思えなくなってしまいそうで、それもあっていったん離れないとな、と思った次第です。
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私がいったん離れようと思った理由はもう一つ。
こちらのほうがウェイトとしては大きいです。
高校卒、大学卒の鳴り物入りのほうが、中卒から下積みでこつこつやってきた力士たちよりずっとずっと有望なだけでなく、入ってきてすぐにほぼ通用してしまうという今の現実。
大銀杏の結えない尊富士に新入幕で幕内総合優勝されたことは恥ですよ。
マゲすら結えない大の里にほとんどの力士が歯が立たないことは恥ですよ。
すごいのが出てきたとかそういう話ではないです。
強くなることと学歴と。これまではどこかで両天秤にかけるところがあったように思います。中卒で飛び込むにはあまりにリスクの高い業界です。同年代が高校で勉強も遊びも楽しんでいるときに相撲部屋で15歳から大人社会での経験を積むことは大変に苦しいことでもあり、しかし同時に誇りでもあると思います。それだけの見返りがこれまでにはあったのではないでしょうか。だって大卒力士は最終的に彼らにほとんど歯が立たなかったもの。その頃はね。気迫や覚悟が全然違ってたから。
それが御嶽海や朝乃山あたりからちょっと風向きが変わってきて。
幕内でも通用する(この場合は優勝できるという意味)大卒力士。案外いなかったんです。
でも彼らだって幕内上がった当初はこんな無双させてもらえてない。
とはいえ気がつけばいまや幕内力士のほとんどが高卒力士、大卒力士。なかでも埼玉栄高校出身者(大卒力士の中にもここ出身の力士が目立つ)のきわめて多いこと。よく八百長が起きないもんだと思います。
中卒のたたき上げ力士を数えあげたほうが早い日が来るなんて。
そして今や、上位の力が拮抗している&上位はケガ持ちばかりということで互いに星のつぶし合いをしているうちに、マゲも結えない、大銀杏も結えない初物たちが下位の幕内力士たち(この人たちもケガ持ちだらけ)を蹴散らしていともたやすく優勝争いに参加してくると。そしてついに優勝かっさらわれたと。
もうこれ何を見させられているのかわからないです。
かろうじて見ごたえのあるのが、これはあくまでも私の感じ方でしかないですけれど、宇良と玉鷲と佐田の海、この人たちの相撲くらいしか見ていて楽しみが持てません。だって彼らは相撲が好きなのわかるもの。もちろん勝つために相撲取ってるでしょうがあの人たちの相撲って勝ち負け越えたところにあるよなって思うもの。勝っても負けても気持ちいいんだよね。翔猿にもあるかな。
長い不振から抜け出せない御嶽海が今後再生するとしたら、彼が本当に相撲が好きかどうか、誰かのためとか誰かを喜ばせたいとかじゃなく、自分のためだけに純粋に相撲を取れるようになるか、かもしれません。優勝とか出世とかはもう難しくても、唯一無二の存在として再生することはできると思う。
朝乃山とか上位の人たちは自分のためだけに相撲取れないからね。あの人たちはもっと違うもののために戦わないといけない。責任の二文字を背負う人たちにしか進めない場所がある。
でもそれを妨げるケガという最大の問題。
なぜここまでケガが多発するのか。
大相撲が改革していかなきゃいけないものはあまりに多いと思います。
とりあえず現状、どうせ強さに関係ない、むしろそっちのほうが強くなれるなら、高校や大学で勉強しながら相撲をやって学歴もつけて、そのうえで社会に出るなり角界に入門するなり決めたほうがいいようになってしまったわけで、この現実と角界はどう向き合うんですかね。
弱いというだけで下手すりゃ一生付き人人生、付いた相手が悪けりゃ一方的にいじめられ虐待されつづける、親方にすら助けてももらえないってなんなんですかね。
昔はそこから強くなっていく人もいたのだろうけど、時代がもう違う。
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これはおまけ。
ほんと、自己中な相撲が増えてきたなあと。
一番わかりやすいのが立ち合いの駆け引き。そりゃ自分に有利に立てるほうがいいでしょうね。でも立ち合いだけで決まっちゃう相撲ってなんなんでしょうね。
立ち合い合わないと相手力士にじゃなく審判部に頭を下げる。おかしいね。自己中一辺倒な立ち合いを貫こうとすることが相手に失礼なんだよね。怒られるから立ち合いあわせなきゃいけないって思ってるのかなあれは。
ケガして休んで、少しでも白星重ねられたらいいなと途中出場する。
これも自己中。
理屈はわかります。休んでみたものの思ったほどの大ケガじゃなかったな、というのならそれでもいい。でもだったら休まなきゃいいという理屈も成り立つ。数日は負けたとしてもそのうち調子よくなりそうなら出続けりゃいいじゃないのと。
最悪なのが誰が見ても大ケガなのに出てくるやつ。
相手も人間なので。どうぞ対等に、はいそのとおり手加減なくいきますよ、とお互いに頭では思ってたって、よほどのサディストでもないかぎり無理に決まってるでしょうが。
そういうの私ら、重要な一番でいくどとなく見せられてきてるのにね。
後味悪いんですよ。
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大相撲に携わる人たちが、
弱い人たちは弱い人たちなりに、
強い人たちはさらに技能を伸ばし強くなっていけるように、
それぞれの目指すもの、手に入れられる幸せや満足は違うけど、一人一人がそれなりに誇りをもって生きていける、人としての最低限の尊重が保たれている。
そんな集団であってほしいと切に願っています。
角界に入れたら入れっぱなし、自分の努力と頭で強くなれるやつだけがなればいい、あとは野となれ山となれ。
昔はともかく、今はもう通用しません。
最終的に親方株は廃止されないといけなくなるだろうし、親方株なくても、それこそ国籍を変えずとも角界に残れるようにしていくだけでなく、外部の専門家、女性も含め、入れていくことになるでしょう。
相撲部屋というシステムもなくしていかざるを得なくなるでしょう。企業の所属である程度チーム化していくことになるのか、一軍~五軍みたいな階層の中でそれぞれが給与をもらってやっていく。一番下のグループでも全然勝てない人は残念だけど力士以外の形でかかわってもらうことにする。
付き人システムを残すとしても今のように当たりはずれの大きいなんでもありの関係ではないもの、付き人が社会性と自制心を学べる、かけがえのない経験を積める関係に変えていかなければ。そもそも付き人システムが要らないまであります。やりたきゃ各自がお金で雇うとかね。
そんなの嫌だ、今までのようにやっていきたい、というのであれば、規模を縮小して、外国人と大卒力士に部屋頭として稼いでもらって、あとの人たちはおとなしく細々と彼らに食べさせてもらう。それもありじゃないでしょうか。そういうの全く気にしないファンもいますから、彼らがしっかり支えてくれるでしょう。マスコミも上手に盛り上げてくれますよ。
最終的にどちらに舵を切るのでしょうね。
私の願いはただひとつ。
相撲を好きになり角界で頂点を目指す道を選んだ男の子たちが、その過程でつらいことや苦しいことを経験し、その多くが挫折で終わってしまったとしても、「それでも相撲を選んでよかった」と思える角界であってほしいということ。
芯の思いは変わりません。
それでもしばしのお別れを。
大相撲のことについてまた筆をとりたいと思える日が来ることを願って。
武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。