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一度は行きたいあの場所:西武ライオンズ球場(現メットライフドーム)


厳密には「一度は行きたいとずっと思っていて、ついに念願かなって行くことができたあの場所」です。

西武ライオンズ球場。まだ屋根がついていなかった頃の球場。憧れの場所でした。球場に鳴り響くオルガン、突き抜けるさわやかなあの応援歌。西武線と合わせていつか行けたらいいなと思っていた私の聖地。

その昔西武黄金期というのがありまして、これがわかる人はいいお年ですね千代の富士はお好きですか。

当時はパ・リーグTVなる素敵なものがありませんから、パ・リーグ所属の球団なんて日本シリーズ以外で見ることができなかったのです。その日本シリーズ、たまたま見た試合が6戦目、西武の投手は工藤公康、背番号47の左腕。決して大きくはないその体を全身使って投げるフォームが、野球をよく知らない私にも、とても美しく思えたのですね。たった一試合で小学生は恋に落ちました。

いつか東京に行くことがあったら絶対行くんだ西武球場。そして工藤投手が投げてるところを一目見るんだ。

おや所沢って東京だっけとか、せっかくならサインもらいに行くとか握手してもらうとかそういう夢ではないんかい(昔から謙虚なんですよ……)とか、今にして思えばツッコミどころ満載なのですが。

そう心に誓い、縁あって上京も叶い、さあいざ西武球場へ!と思っていながら野球観戦どころではなくバタバタしているうちに。

気づけば工藤投手、福岡の人になってました。うわぁああああん。

今日できることを明日に延ばすな。時すでに遅し。私はなんというおバカさんでしょう。せっかくこんな近くに住んでいながら(※当時住んでた場所、そんなに近くなかったですよ……)バカバカバカ。

でも今にして思えば同じパ・リーグなのだからビジターで何度も所沢に来ていたはずで、登板日を狙って観戦しに行けばよかったんですけどね。まあ20代、幼き頃の一目ぼれにまで気を配ってやる余裕がないほど目の前の日々に忙しかったんです。

しかもその後東京にも横浜にもけっこう長らく戻ってきてたのに、全然目もくれなかったのが今思い出しても不思議ではあります。

思うに、あの白と水色の、胸にLionsのロゴの入ったユニフォームを着た工藤投手を、他のどの球場でもない、西武球場で見たかったのだと思うのです。私が直で見たかったのは、それ以外の組み合わせではなかったのでしょうね。

気づけば私は憧れだった西武線沿線の住人になっていて(ん、西武線が憧れ???)、さらに気づいたとき、工藤投手は西武ライオンズに戻ってきていました(今もなおこの傾向残ってますよね。松井稼頭央に松坂大輔、西武、こういうところはいい球団だなあ)。

いまだ、今しかない!上京してこのかた未だ実現していなかった西武球場での野球観戦。時は来た、それだけだ。

行ったからとてその日工藤投手が投げるという保証は全くなかったのですけれど、なんでしょうね、たまたま「その日」、チケット握りしめ、初めて西武球場、もとい、西武ドームに足を踏み入れました。

当たり前ながらベンチ入りの選手で私にも分かるのは渡辺久信監督のみ。他には誰ひとりとして知っている選手がいません。まあいいやとグラウンドから高く離れた外野寄りの内野席に座り、売り子さんにビールを頼んでみたりします。その日の試合展開は全く覚えていません。西武ドームはブルペンが外にあり外野に近い内野席から控え投手たちの様子がよく見えるので、工藤投手出てこないかなと、試合の流れそっちのけでブルペンばかりを気にしていたように思います。

ビールの酔いもほどよく回り、ライオンズの僅差のリードで迎えた中盤、もしかしたら、という人影がブルペンに現れました。テレビで見た背格好と、左投げ。背番号は。

あの日の記憶はほんとうにあいまいで、ユニフォームも私の記憶しているものではなかったかもしれないし、現役最終年は47番を背負っていないのに、私の記憶の中では黄金期時代のユニフォームで、最初で最後に見た背中も47番なのですね。

ブルペンで調整する姿を試合もろくずっぽ見ないままぼんやり眺めていました。このあと登板するのかな。調整するだけして、下がってしまうのかな。監督がベンチから出てきました。審判に何かを告げます。球場にアナウンスが流れます。ピッチャー、~~に代わりまして、工藤。

ホームである三塁側のスタンドが一斉にわきます。ファンたちが声援を送ります。私も精いっぱいの拍手を送ります。工藤さんが投げる。子どもの頃あんなに憧れていた人がマウンドに上がる。これから本当に投げる。すごい。これはすごいことだ。今日来て、本当によかった。

思えば最初にブラウン管の中に雄姿を見てからもう20年近く経っているのに、まだこの人は現役の選手でいてくれて、屋根はついたけど同じこのグラウンドに戻ってきてくれていて、今日たまたま思い立って訪れたこの日の試合、登板の機会が巡ってきた。

結果は確か連打を浴びて逆転を許すことになり、来年はもうないのだなと悟ったことを覚えています。まだまだ投げられる、抑えるところが見たかったけれど、これはこれで、私の中でカタがついたというのでしょうか。今日来れて、今日見れて、本当によかったと。

こうして「一度は行きたいあの場所」は私にとって、ほろ苦くもかけがえのない、最初で最後の場所とな……


らず、それからしばらくは年に一度くらいのペースで観戦するようになりました。だって近いんだもん。行ってみるまでこんな近いと思わなかったんだよ。埼玉西武ライオンズとか言ってるけどこんなのほぼ東京じゃん、ん、私の住んでるところが埼玉なのか、いやそれだけは全力で否定しますよ。でも東京ヤクルトの本拠地神宮球場に行くより全然近いのよ。

しかしまあ、あれほど憧れてた球団のホームグラウンドにいつでも行けるというこんなに恵まれた環境にいながら、今現在の私はというと。

ああ一度は福岡のドーム行って思う存分応援したいなあ。

って思ってます。

そりゃ応援するでしょ工藤監督率いる福岡ソフトバンクホークス。最初は監督ありきで応援してましたけど、今じゃホークスの選手たち一人一人が愛おしくてねえ。西武黄金期の系譜の一つがここに受け継がれていると私は思っておりまして、勝負への緊張感を常に持ちつつ、かつ明るく輝いてるんですよ。その頑張りっぷりが好きでね。有望選手の活躍だけでなく、育成の子たちが次から次へと開眼していくのもいい。

もちろん今のライオンズも好きです。監督は同じく黄金期の名手辻さんだし、めちゃめちゃ打つし走る人は走るし源田はたまらんし。実は一時期二股で応援してたこともあるのですけれど、少なくとも工藤さんが監督をしている限りにおいては筋を通したいので、今はホークスに絞って応援しています。

ただ、やはりもともとは憧れの球場、大好きだったライオンズですから、ホークスとの試合だからこそ所沢に応援に行けないという本末転倒なことになったまま現在に至っております。

ああなんというもったいなこと。このままではいけません。いずれは勇気を振り絞り、ビジターの黒いレプリカユニフォームを携えて1塁側から応援するんだと鼻息荒くしつつ……あれほど大好きで憧れだったライオンズに背を向けるのもやっぱり気が引けるので、神宮や関内や千葉に出向いては元ライオンズファンの過去を探られないスタンドで応援するという不自然なことをやっております。

ああ、今やこんなに手の届く場所にありながら、なんたる結末。

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