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2020/10/17-18(日)清く正しく生きているだけで人生が好転するといいけどね


一応、これの続き、かな。

本でも漫画でも、主人公へのいじめが延々と続く物語、読んでいて苦痛です。読まないというわけではありません。その先にあるものを確認したいからこそ、精神的にきついのを黙って我慢し読み進めているだけです。

小さな頃に読んだ「小公子」が好きでした。同じ作家の手による「小公女」と比べると小公子のほうがずっとずっと、読んでいて心地よく、ほっとするのです。

そこには「何があろうと清く正しく朗らかにあれば、おのずと道はひらけていく」という希望あふれるメッセージを感じ取ったからかもしれません。実際主人公のセドリックは気のいい仲間たちにも恵まれ、持ち前の朗らかさと誠実さで、かたくなだった祖父の心を少しずつ溶かしていきます。

いかなる逆境がおそいかかろうとも持ち前の性格の良さで乗り切っていくセドリックという存在は、読んでいてこの上なくストレスフリー。そう私たちはこのように「ありのまま」「誠実」でありさえすればいいのだと。

「小公女」は違います。最終的に救いの手が差し伸べられるまで、セーラは屋根裏に押しやられ、つらく理不尽な仕打ちを耐え忍ぶしかありませんでした。セーラは賢くて誇り高い娘ですが、生まれながらの美徳を貫いたからとていじめの手が緩められることはありません。読んでいてストレスフルなことこの上なし。つらい。

でも、これあくまでも私の感覚ですけれど、世間的には「小公子」よりも「小公女」のほうが知名度も人気もあるのではないかといった印象。子ども心に不思議でならず。

今はなんとなくわかる気がします。小公子の展開はある意味「ずる」く、小公女の展開はすこぶる「リアル」なのですね。清く正しく生き続けるだけで人生が己に都合よく開けたらこんなに楽なことはないんだ。

とはいえ私はひ弱なので、やはり小公子派。己の努力だけでは解決できない永続的なストレスなんて大嫌い。こらえ性ないなあ。


武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。