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頼まれてもないのに。その2に追加(それでも日常を続けることと、この期に及んで通常運転から逃れられない人たちと)

前回のnoteで「日常を守ることの大事さ」について言葉にしました。

ところがその後「私の言いたい『日常を守る』はそういうんじゃないぞ……(´・ω・`)」という出来事をいくつか目にしまして……くどくどと書きたくないので箇条書きにしますね。

・一刻を争う緊急対策として一時給付金の話をしているのに、それぞれの利権絡みにしか思えない「お肉券」やら「お魚券」やらの話が出てきてしまう与党の皆様

・その「○○券」騒動に対し大麻の話を持ち出す某元女優さん

・新型コロナの脅威に対し、地球にごめんなさいしだす某女優さん

・感染の危険があるから大人数の人が集まる会合は控えようねと皆が言っているのにレストランに人を集めて花見をしちゃう某夫人

・与党がぐだぐだしている中、野党はここぞとばかりに気を引き締めて積極的な対案を出していく絶好のチャンスなのに、やってることはモリカケと総理の奥様批判というずっと前から見慣れた流れ

うわぁ日本って何があっても通常運転なんだなあ

よかった今日も日本は平和だなぁ(棒)


…………「日常を守る」って、そういうんじゃないと思うんです。

私が思ってる「日常を守る」ってのは、世の中がどう荒れ狂おうとも、誰かと自分のためにちゃんと笑ってごはんを作ろう。そういうことです。

世の中が大変なことになっているのに、いつもと同じ対策しか取れなかったり、見えている景色がいつもと全く変わらない、というのではないです。

世の中の変化に対して柔軟に生活を合わせながらも、「人として大切なもの」を崩さない。笑顔だったりユーモアだったり思いやりだったり。そういうのを「日常」と私は呼びたかったんですね。

状況が大きく変わり、行動を変えていかなければ生き残れないかもしれないときに、これまでと同じ行動、同じ考え方しかできないのは、日常を守るどころか、日常が崩れていくのを何もしないで見ているのと何も変わらないと思うのです。

非常時の通常運転、それは日常を守る行為ではなく、人々が守ろうとしている日常を見殺しにしかねない行為だと、私は思います。


現実をつきつけられているからこそ、目をそむけられないからこそ、最後の砦である日常だけは守ろうと思っています。

反対に現実を直視していないからこそ通常運転のままでいられるのかなと思いますし、通常運転を固持することで刻一刻と悪化している現状から目をそむけ続けることができるのかもしれません。

日常を守ることと通常運転を続けることとは一見似ているようで全く非なるものだということがどうしても言いたくて、付け加えました。


せっかく始めたnote、来週こそ楽しいことをテーマに書かないとですね。



武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。