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頼まれてもないのに。(その1)

「ソースは名古屋に限る」

私が幼少期を過ごした地元は、魚なら何を食べても味わい深く、野菜を炊けばおだしが豊かに香る煮物となり、地元に古くから伝わる佃煮や漬物をおかずに、これまた地元産のご飯が何杯でも進むという、自前の食文化にかなり恵まれた地域なのですが、地元を離れ随分と経った今にして思い出すに、ある一つの調味料に関しては、我々はとある地域にがっつりと首ねっこを掴まれたままなんの疑いも持たずに味覚をすべて委ねていたのではないかと思うのでした。

「こいくちソース」

上京したての頃、この名称を持つソースがどの棚にも見当たらないことに最小のうちは違和感を覚えていたのですが、慣れというものはおそろしいもの、ああなんだ「中濃ソース」を買えばいいのだなと、そのとろみ具合にやはり疑問を抱きつつ、これを代替品として買うようになり、いつしか「私が好きだったのは中濃ソースだったように思う」と「好みのすりかえ」すら行うようになり、それこそつい数年前まで「『それ』が東京都内のスーパーに存在しないこと」すら考えもしなくなっていたのでした。

「コーミソース こいくち」

たまたま入ったスーパーの棚に並んでいるのを見て、その記憶は突如よみがえり、これまでの記憶の空白を一気に埋めていきました。そうそうこれだった。私はこれを探していたのだよ。「『これ』がなぜか東京にはない」不思議なことに、この日コーミソースを見かけるまで本当にすっかり忘れていたのです。懐かしいオレンジ色のフタとパッケージにくるまれたソースをカゴに入れ、買う予定のなかったエビフライなんかも一緒にカゴに入れてしまいます。帰宅後さっそくエビフライを温めなおし、十数年ぶりの『それ』をジグザグにかけます。さくりと口に運び、完全に思い出しました。中濃ソースでは満たされることのなかったこの微細なる味わい。なぜ私はこの存在をこれまできれいさっぱり「なかったことに」できていたのか、いやはや記憶の書き換えとは恐ろしい。

ところが。ソースというのは一本使うのにとかく時間がかかるもので。そうこうしているうちに件のスーパーからコーミソースが消えてしまっていました。落胆した私はあちこちのスーパーを探してみましたが、まあ見つからないこと。成城石井やKINOKUNIYAならあるだろうと思ったら、こだわりの調味料を扱うようなお店にすら入荷されていません。改めて調べてみるとコーミは名古屋のメーカーでした。全国展開はしていないのでしょう。

このような場合、こだわる人であれば「スーパーに再入荷してもらうようお願いしたら」となるのでしょうが…………ソースって、そこまでして買うものか?という妙なこだわりが私にはありまして。つまりお取り寄せしてまで買うものではない、と。ソースたるものもっと庶民的でお手軽で、時には背徳的なまでにざばざばと豪快に使っては家人のひんしゅくを買う、それがソースというものなのです。わざわざお店の人に頼みこんだり、ましてやわざわざ送料を払ってまで玄関先まで届けていただくような代物ではないのです。

というわけで残念ですコーミソース。今度はいつ会えるのかしら…………長くなりそうな別離を惜しみつつ、今日も私はとあるソースを手に取るのです。

「カゴメ ウスターソース」

そうそうこれも実家に常備されていましたね。コーミソースこいくちとは違うけれど、これもまた昔懐かしの味。一つの記憶が思い出されることで、もっと早く思い出してもいいようなことすらまとめて忘却の彼方に追いやられていたことに気づくようです。製造元の住所を見てみましょう。そう、これも名古屋。

「ソースは名古屋に限る」

恐るべし。知らない間に私の舌は名古屋に支配されていたようです。

武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。