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2022/8/19(金)私たちは欲を手放せない
未来の若い人たちからいろんなものをさんざ前借りしているくせに、未来の年老いた自分のためにはためこむことを怠らない、なんと豊かで欲深な人たち。
さっき、なんとなく思いついたこと。
奪われるものがない人からは誰も奪えないというのにね。
こういう人たちは奪われる未来のためにせっせせっせと努力してしまっているのかもしれないね。
どでかい詐欺にひっかかるにも多額のお布施地獄に陥るにも、お金がないとできないのになあ、お金ってあるとこにはたんまりあるんですねえと、暑さに参った頭が呟くのです。
世の中ってのはなんだかんだで一人勝ちできないようになっているんだなとぼんやり思うばかりの日々です。
一方でその事実や予感こそが、もしかしたらいろんな人の心にできたささくれを少しばかりは和らげているかもしれないと。
今を誠実に、周りの人に誠実に、自分にできることだけを丁寧にこなすことだけが最も善い生き方なんだからと。
欲とあきらめのバランス。どっちも大事。
未来を受け入れる覚悟。
今起きている問題たちの本質に気づき、根本から生き方を見直す時期なんじゃないの。
そう言われている気がします。
でもあまりそういうことばかり言っていると、答えを欲しがる人たちが安易な答えにまた飛びつき、再び間違えることになるでしょう。
この手の問題提起はそういう危険と表裏一体でもあります。
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…………はあ。まただ。どうしてもこうなる。
書けないでいる理由がこれです。
暗いことしか書けない。
完全に時代のフェーズが変わったからだ、自分の今をそう私は正当化しているけれど、どうなんだろ、ほんとそうだよね、時代変わっちゃったよね、と共感してくれてる人いるのかな?
昔と同じに戻ろう、絶対に戻れるはず、と信じている人たちのほうが大多数なんだと思います。
前回のエントリで書いたけど、いやいやただ単にプラスがゼロに戻っただけなんだけどな、って思っている私のような人、他にもいるのかな。
それにしてもだ。
私の中から出てくる出てくる、最近の暗い想念って、これ、根本にあるのはただのひがみなのかなあ。
だとしたら負の感情を上手に処理できないと本当に誰にも声を聞いてもらえなくなるよ。なんとかしなよ……
でも待って。これほんとうに負の「感情」なのかな。
やっかみやひがみという感情からではなく、配慮なしに現状を分析した上での客観的予測ではないの。
はたまたそれとも、自分を置いてけぼりにした時代の流れ、時流を乗りこなして成功している人たちに対し、お前らなんかこうなってしまえと、未来への呪いを吐いているのか。
感情か、予測か、呪いか。
実際には私の中でもこの3つが複雑に絡み合っているのでしょう。
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年の功だ、少しは有益そうなことを書く努力はしましょう。
いろんな人がいろんなことを好き勝手に発言しています。
それぞれの人が(無意識的に)何を意図してその発言をしているのか、そんな視点をちょっと挟むだけで、目にした、耳にした発言から、うまく距離が取れるかもしれません。
生き方を変える必要に、既存の価値観を疑う時期に来ているのは確かなのですが。
私たちは弱いので。
おそらく近い現実、生き方を変えるどころか生き方を変えずにすませるべく、今以上に各自が今いる居場所に必死にしがみつき、本音を隠し、その集団でほめられることばたち、感情たちだけを自分の思考、感情と同一化していく、そんな流れが加速していくでしょう。
どこもかしこもポジショントーク、建前にあふれ、敵味方に分かれての攻撃的、庇い合い言論だらけになっていくでしょう。本音自体が蒸発してしまうわけではないのだから、抑圧された本音たちははてさてどうなるのか。
私はそんなふうに予測しています。
私たちって自覚している以上に欲深い存在で。
あらゆる欲の実現を金で買っているだけだってことに気づいてないんですよ。
その無自覚さにつけこんであらゆる形の集金システムが肥えた獲物に次から次へとやってくる。
それだけなのかな、と。
私たちはあらゆる欲をため込んでぶよぶよに肥え太った獲物。その脂肪を欲しがっている人たちは後を絶たないという自覚だけは持っていたいものです。
武者修行中です。皆様に面白く読んでいただけるような読み物をめざしてがんばります。