見出し画像

落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『杯』森鴎外著~

まったく理解できず。
短い作品なので何度か読んだが、どう感想をあらわしてよいのか。
技術のなさを痛感した。
鴎外はこの作品で何を言いたかったのだろうか。
 
11.12才の七人の娘。自分の杯を持って、競って泉の水を飲みに行こうとする。
その後に14.15才くらいの第八の娘(外国人)も水を飲みに泉に来た。手にしているのは小さな杯。
とても十分に水を飲めるサイズではないようだ。
それを不憫に思った一人の娘が「あたいのを借そうかしら」と自分の杯を差し出したが、「わたくしの杯は大きくはございません。それでもわたくしはわたくしの杯で戴きます」(新潮文庫P14)と。
 
日本はまだまだ欧米に強いコンプレックスを感じていた時代。
逆に言えば、欧米は日本を格下に見ていたと思われる。
それが子どもにも通じているのだろう。
「なんで、このわたくしがあなた方の杯を借りて飲まなければならないの!」
行間から、そんな声が聞こえる。
 
最終行に「第八の娘は徐かに数滴の泉を汲んで、ほのかに赤い唇を潤した」(P15)とあるが、これは「日本人に馬鹿にされてたまるか」というプライドをあらわしているようにも思う。
 
そもそも、一人称の言葉遣いが違う。
「あたい」とする娘たちに対して、かたや「わたくし」である。
田舎者と都会人くらいの感覚の違いがあるように見える。
 
まだまだ国だけではなく国民も「普請中」ということなのだろうか。
そう考えると、『杯』という作品は、次に続く『普請中』を含め、当時の欧米諸国との関係性をあらわしているように思えるが。
 
感想としては、ここまでが精一杯のところである。

この記事が参加している募集

#読書感想文

187,064件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?