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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『現人神の創作者たち 下』山本七平著~

<<感想>>
上巻では「正統性」がキーワードとされた。「正統性」とは国としての方向性を示す絶対的な根拠のことだが、戦国時代には正統性という考え方はなかった。強いものが勝つ、ただそれだけであった。
徳川政権では、反乱抑止のための歴史的研究が思想家を中心に進められた。
 
ポイントのひとつが「なぜ朝廷が政権を喪失したか」。
そもそも歴史的に進歩的文化人は「儒教的基準」が唯一の価値基準であった。
いわゆる孔子や孟子の教えである。人間としての倫理(人倫)を基本として、絶対に守るべき5つの考え方(五倫)を示した。つまり、君主と臣、父子、夫婦、年配と若者、友達同士の関係において人倫に劣る行いは許されない、それは天皇と臣下においても同じこと、ということである。
 
しかし朝廷は、その基本が守られていなかった。
天皇の系統図をみても、実質的に父子の関係がなかったり、即位の順番が年齢順でなかったり。これらはいずれも政権闘争によるものである。
さらに政権喪失を決定的にしたのは、後白河天皇(上皇)の無原則な院宣(命令)の乱発であった。
源義仲に源頼朝追討の院宣を出したと思ったら、頼朝には平家追討の院宣、そして義経には頼朝追討の院宣を出したり。つまり、後白河天皇には天皇としての「徳」がなかった。頼朝に「日本一の大天狗」といわれたほどだ。
 
政権争いの終始し「徳」のない朝廷。そして「失徳天子」としての後白河天皇。
徳川政権は、こうした歴史的分析から「正統性」を示すことに力を入れた。
それが官学としての「朱子学」の採用である。朱子学は君主を尊崇する思想である。
君主は日本では天皇を指す。徳川政権は、「天皇は日本における正統性を持つ。その天皇から将軍に宣下されたのだから、徳川家は統治権を持つ。故に徳川家に反抗するものは反乱者である」とした。
これまでにも「征夷大将軍」を授けられた歴史上の人物はいたが、決定的な違いは「(徳川政権は)官学としての朱子学に基づく尊王思想の正当性」を背景とした点なのだろう。
朝廷の政権喪失を分析しながら「正統性」の必要性をあらわし、それを尊王思想の朱子学につなげる。その上で、表面的に天皇をたてながら、実質的な安定政権を担う。
徳川安泰の裏側を見たような気がする。
結局、「現人神」の考え方は、時代の権力者たちによって恣意的に創作されたということか。

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