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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『椿姫』デュマ・フィス著 新庄嘉章訳~

娼婦たちのうちのひとりが、一生涯に一度まじめな恋をし、そのために悩み、その恋ゆえに死んだ。
(新潮文庫P430)。
 
この作品を言葉にすればそうなるかもしれない。しかし深い感動を覚えずにはいられない。
この作品にはモデルがいたという。マリ・デュプレシというパリの社交界でも艶名を轟かせていたという人物。あとがき(P433)には、その人となりを「娼婦でありながら、あたかも貴族の婦人のような珍しい人品をそなえていた」と記載があった。
 
とらえ方にもよるが、「娼婦」とは悪く言えば「自らの身体を利用し、男に媚びながら生きることを生業とする人たち」と考える。
マルグリットの場合も、金持ちの男を転々とする一方で、その男たちはマルグリットに入れ込み過ぎた挙句、最終的に散財してしまうという。
ただ、マルグリットには女性としての気品がある。言葉や所作も魅力的である。確かに経済面は男性に依存していたが、自分自身のコンセプト(生き方・考え方)はしっかりしている。きわめて常識的であり、他の娼婦と異なるところである。まさに「貴婦人」である。
 
しかし、社会は「娼婦」というだけで偏見の目で見る。
社会の底辺で生きる彼らは、本当の愛、本当の幸せを求めてはいけないのか。外見ではなく内面で愛し合うことを求めてはいけないのか。
実はこの作品のテーマのように思う。
マルグリットの望む愛とは「身体よりも気持ちを深く愛してくれる人」と結ばれること。それがアルマンとの出会いであり、同棲期間はつかの間の幸せな時だったのだろう。
結局マルグリットはアルマンの父親の願いを受け入れる。自ら一生に一度のまじめな恋に終止符をうってしまう。
それは貴婦人としての見識による判断なのか。それとも娼婦としてのコンプレックスからなのか。
 
偏見や先入観が先立ち、個人の人間性を正しく理解しようとしない社会。
作者デュマ・フィスはこの作品を通じて問題提起したかったのではないか。

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