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たまちゃんのこと

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今から12年前、まだ実家が世田谷区にあった頃、家族が子猫を拾った。

子猫も子猫、生後10日ほどの乳飲み子。

彼女と出会ってから、私はそれまでの“犬派”だった人生から、あれよあれよと言う間に“猫派”へと一転した。(犬への愛情がなくなったのではなく、猫への愛情が莫大すぎたのだ)

“めい”と名付けたその三毛猫については、また後述できたらいいなと思う。

今回は今一緒に暮らす、たまのことを書きたい。

2016年4月、私はパニック障害で入院をした。それまで2週間以上動悸が止まらず、食事が一切取れず、視力もほぼ機能していなかった。1週間後に入院が決まり安心をして、タクシーに乗った瞬間、意識を失った。結局そのまますぐに入院となった。

計算をするとちょうどこの時期に、たまは生まれている。

退院をし、療養しながら日々を過ごしていた。

久しぶりに会った友人と、共通の友人たちが経営している保護犬・保護猫のカフェへ遊びに行くことになった。

インスタグラムやツイッターで、普段彼らのアカウントは見ているので、子猫がいることは知っていた。しかし飼えないと言う前提があったせいか、自分には無縁と思っていた。

看板猫の若旦那さんや、ポケモンのポニータに似たカラーリングをしてもらった犬(トリマーさんがいる)と戯れていると、ケージがありその中に件の子猫がいることに気がついた。

「抱いてみる?」

と言われ、軽い気持ちで、洗濯ネットに包まれたとても小さな子猫を抱いてみた。

あたたかい。

体重の全てを委ねてくる。

触れた先から愛おしさが迸ってくる。

「あ、これはやばいな」

と、一緒に来ていた友人に速攻でバトンタッチする。

“カゲロウ”と名付けられたその子猫は、儚いほど細い体と、強い生命力を持っていた。

結局そのあとはずっと、別のお客さんが大切に抱いていた。

「うちの子になる?」と声をかけながら。

私はひどく嫉妬をしたが、病人、ひとり暮らし、その他たくさんの欠陥のある人間が、猫の命を預かるべきではないと思った。歯がゆかった。

カゲロウに妙な既視感があったのは、入院中いつも会っていた野良猫と、口元の模様が似ていたからだ。

帰り道、カゲロウのことで頭がいっぱいであった。と言うより、あの洗濯ネット越しに触れた儚い体の感触が、忘れられなかった。

これは恋のようだなと思った。

その足で、母と共通の最寄駅のうどん屋に行った。

めいの影響ですっかり猫好きの母に、当然のようにカゲロウの話をした。整理のつかない気持ちのまま、畳み掛けるように。

一通り聞かされた母は、一言だけ

「なんで連れて帰ってこなかった?」

と。

私は、完全に狐につままれたような、鳩が豆鉄砲食らったような、そんな顔をしたであろう。

いやいや、病人だし、メンヘラだし、働いてないし、ひとり暮らしだし。って言うか猫アレルギーだし。言い訳を並べてみる。

母曰く。あんたとりあえず金はあるし、猫の面倒見ながら療養した方があんたは絶対よくなるし、めいちゃんのときも猫アレルギー出たけど、治ったし。

カレーうどんをすすりながら整理をしてみる。

金は確かに、なんとかなる。療養中でむしろ家に居られるから、子猫のうちはその方がいいかもしれない。冷静になって考えれば、入院間際の1年以外は、9歳から絶えず動物と暮らしている。結果動物のために、なんとか人並みの生活を送ることができた。つまり私は守るものがあれば、動くことができる。猫アレルギーも、アトピーで飲んでる薬である程度は抑え込めるし、めいと暮らし始めて数年で治った。(ひとり暮らしを始めて1年で、また戻ったが)

あとは責任を負う覚悟があるかどうかだ。死んでも手放さない。何があっても手放さない。自分の全てをカゲロウに費やすことができるかどうかだ。

うん、できる。

カゲロウの温もり、重み、顔を思い出したら、何があってもあの子のそばに居たいと思った。

友人に連絡をし、避妊手術を受けた2ヶ月後、引き取ることとなった。

これら全てがうどん屋で起こった出来事である。

うどん屋で私の人生が変わることとなった。

それからの1ヶ月間はほとんど記憶がない。療養しつつ、知人の出展するアートイベントを手伝いつつ、頭の中はカゲロウのことでいっぱいである。

猫に全く興味のない人にまで、自慢をする始末。

そろそろケージやトイレを買わないとな、と思っていたタイミングで、訳あってカゲロウは1ヶ月早くうちに来ることになった。

その頃彼女は生後5ヶ月半。

突貫工事的に物資を買い揃えた。ケージは、カゲロウを引き取る当日に届くことになった。

5ヶ月半なら、結構大きくなっているだろう、とカフェへ迎えに行く。

最初会ったときと違い、ケージから出てお店を歩くカゲロウ。

あれ?ちっちゃくない?

のちに動物病院で、彼女は骨格が元々小さいので、あまり大きくならないと言われた。

最初の抱っこと打って変わって、ものすごい人見知りで警戒心の凄まじいカゲロウ。全然捕まらない。奥に入ってしまって出てこない。猫じゃらしで釣るも興味は持つが捕まらない。

近くにきたときも、捕まえようとしたら逃げるのだろうな、と思って手が出せない。そのときカゲロウは、年上の保護猫たちに毛繕いをしてもらっていた。彼女がのちに我が家で発揮する、猫同士の社会性はここで得たのだろうと思う。

なんとか捕まえ、今でも5年間使っているキャリーバッグに収納する。

友人に、「“たま”と名付けていいか」と尋ねると、いいよと言ってくれた。

これが私の彼女への最初のプレゼント、名前である。

猫侍と言うドラマが大層好きな私は、いつか猫と暮らせることになったら、主人公の白猫・玉之丞から名前をもらおうと思っていた。

誰からも覚えてもらえて、愛され続けている“たま”と言う名前。いつの時代も、猫と言えば“たま”。言葉の響きから、丈夫で長生きしてくれそうな気がした。

かくしてたまを連れて帰り、自宅で別の友人とたこ焼きを食べつつ、ケージが届くのを待った。ケージを組み立て終え、初めてたまとのふたりきりの時間が訪れた。それまでそっとしておいたが、キャリーバッグから出してみた。

警戒心が強くて人見知りの彼女だから、すぐ懐かないだろう。ゆっくりでもいい、なんなら全然懐かなくても元気ならいい。一緒にいられるだけで幸せだ。

そんな思いを巡らせながら、そっと抱いてみる。

突っぱねたり抵抗をしたりせず、身を任せてくる。

あたたかい。

拍子抜けするほど、甘えん坊である。

ケージに入れると、シャーと威嚇するが、抱っこをしてしまうと大人しくしている。翌日風呂に入れたあとなんか、私の腹の上でフミフミしている。

割と最初から信頼してくれたおかげで、信頼関係を築くのに苦労をしなかった。

そしてたまは、今でも私の最高のパートナーである。

何度思い返しても、信用をして譲ってくれた友人たち、一緒にカフェに行って出会わせてくれた友人、背中を押してくれた母、決断した自分に感謝してもしきれない。

結果今ではパニック障害も完治ではないが落ち着き、仕事も人並みにし、比較的まともな暮らしをし、2匹目を迎え入れている。猫と暮らし続けるためだけに、必死である。

完全にたまのおかげ。

今もこのまとまらない文章を書いている私を。香箱座りで見守ってくれている。

この子がいてくれて本当によかった。

一緒に暮らして5年の間にも、たくさん事件は起こったが、それはまた後日。

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