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山奥の神社、裏の竹やぶでの話

九州某県の古典芸能について取材をしていたときのこと。

その日はA市の某地域に伝わる神楽の話を聞くために神社を訪ねることになっていました。山奥の小さな神社です。
二十年近く前のことです、貧乏会社の社用車にナビが付いてるわけもなく、生まれついての方向音痴としては、アボ取りの前に、縮尺さまざまなマップを総動員して、毎回、目的地までの道順を下調べるのが常でした。
公民館などで話を聞く場合は、概ね問題ないのですが、たまさか個人宅を訪ねる時は、取材依頼の電話の際に家までの道のりを聞き出さなくてはなりません。伝統芸能の後継者といっても、取材相手は若くて60代、大抵は70代、80代の高齢者で、当時勤めていた社名を名乗ると、外人さんなんかえ!と驚かれるのが常。いくら説明しても理解してもらえないので、ままよと外国人の体で道順を尋ねてみるのだけれど、「真っつぐ行くと、大きな杉ん木がたっとるけ、その前で待っちょってくれんな」などと、日本昔話のような展開に途方にくれることもしばしばでした。

その日の取材先は神社とあって、地図の上、該当する住所に鳥居の地図記号が確かに記載されていてその点は安心でした。
心配していたのは、取材日でした。当日は、サッカーのワールドカップの日本戦の日、しかも試合時間内に取材しなければならなかったのです。ずらそうにも原稿執筆、校正やりとりの時間を考慮すると、その日、その時間がぎりぎりのラインだったのです。

市内を出て、どれほど車を走らせたでしょうか。立ち並んでいた民家がポツリポツリの頻度になり、そのうちポツ…ポツ…になり、しまいいくら走ろうが民家はおろか、人っこ一人みかけなくなりました。

そろそろだと思っていると、小さな神社が見えてきました。社務所がそのまま宮司さんの自宅となっているようでした。驚いたのは、神社の周囲に無数の車が停まっていたことでした。軽トラだったり、ピックアップトラックだったり、県内ナンバーのみならず、県外ナンバーの車もあります。
サッカーの試合を観戦するため集まっているに違いありません。段取り良く取材をしてさっさとおいとまするとしようと、社務所の呼び鈴を押しました。

開けてくれたのは、小柄な年配男性。見ればたたきには、十数人の男物の靴が脱ぎ散らかしてあって、すでにお酒が入っているのかやけに盛り上がっている声が聞こえてきます。思った通りです。
取材をお願いしている旨を伝えると、そのまま奥の座敷に案内されました。
宮司さんを呼んでくるとばかり思っていたら、案内してくれた男性が、座卓の向こう側に着座しました。
その風貌から、てっきりお手伝いの人とばかり思っていました。無精髭に髪は伸び放題。神社というより、場末の焼き鳥屋が似合うような姿で、神主さんのイメージとはほど遠かったのです。
「こんな日に無理を言って申し訳ありません」
そう謝ると宮司さんはキョトンとした顔でわたしを見た。
「サッカーの試合観戦で集まられてるんですよね。日本戦の日だから」
ですが、宮司さんは、その日、重要な試合があることなど知りもしない様子でした。そうして、「サッカーなんかより、面白いもんがあるけ」というと「いいもん見せたろ」と立ち上がったのです。

脱いだばかりの靴を履くと宮司さんの後をついていきました。社務所を出た宮司さんは、神社の裏手、鬱蒼としげった竹林に分け入っていくのです。
道といっても人一人が通れるくらいの獣道です。竹の葉がカサカサと音を立てました。

と、突然、視界が開けました。
目の前に現れたのは円形の広場でした。竹を伐採し、作ったのでしょう。
ここは一体?
振り返った宮司さんと目が合いました。
張り付くような笑顔。瞬間、疑問が浮かんできました。

この人は本当に宮司さんなのか?
本当に取材相手なの?

そこに一陣の風。
むせ返るような血の匂いがしました。
全身の毛が逆立つのがわかりました。

男は、笑顔のまま広場の隅を指差しました。
見れば、いくつもの金籠が伏せておいています。中に入っているのは?
「しゃもじゃ。これから闘鶏するんじゃわ」
だから血の匂いがしたのです。
「そりゃあ面白えで。好きなしはな、遠くから駆けつけてきよる。負けた軍鶏はな、鍋にして食うけ。あんた、いっしょに食っていきなえ」
広場の上、丸く切り取られた青空の下、男は満面の笑みを浮かべていました。次の取材があるからと断わると、社務所に戻り男から神楽の話を聞いた、はずなのですが、それがどんな話だったのか、内容は一向覚えていないのです。

記憶にあるのは、丸く切り取られた青空。
血の匂い。籠の中の軍鶏の目。張り付いたような男の笑顔。

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