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狐に化かされた話

20年ほど前、九州の観光情報本の取材のため取材して回っていた時のこと。

取材先は、某県のAにある乗馬体験のできるキャンプ施設でした。
国立公園内、山深いところにあるキャンプ場で、黒澤映画の馬術指導も務めたというご主人(元モデルというだけあって、見惚れるほどの美丈夫でありました)と、しっかり者の奥さんが運営されていました。

取材の対応は主に奥さんが担当されていて、彼女のお眼鏡にかなわないカメラマンやライターは編集部に出禁が通達されていました。
わたしは、なぜか気に入られ、毎年、お声がかかり、その時が3度目の取材でした。
奥さんは、時間にも厳しかったため、遅れないよう早めに出発したのですが、行程の4分の3ほど行った所で急ブレーキをかけました。
工事のため迂回するよう看板が出ていたのです。

早めに出てきて良かったと思いながら迂回路に入りしばらくすると霧が立ち込めてきました。注意しながら走っていると、再び迂回するようにという看板が。2ヶ所も迂回?と思いながら、しばらく走ったところで、同じ道を走っているのではないかと不安になりました。景色が先の迂回路と同じような気がしたのです。
さらに霧が深くなってきた中、三度目の看板が見えてきました。
同じ文句、同じ地図、先と同じ看板、間違いありません。不安的中、先からぐるぐると同じ道を回っていたのです。

道を間違えたわけではありません。
というのも、工事中の道か迂回路か、その2本しかないのです。
誰かに訊ねようにも人っこ一人いない。
困ったことになった。
汗が出てきました。その汗は、ループしてしまっている不思議さからではなく、奥さんに叱責される恐ろしさによるものでした。

これでは永遠に辿り着けない! 奥さんに怒られてしまう!と半泣き状態で、かといってどうすることもできず。
もう、ままよ!とばかり三度目迂回路に入りました。と、道の脇の畑で農作業をしているお婆さんがいるのに気づきました。お婆さんに尋ねたところで分からないよなあと思いながらも、他に手立てがない。
車を停め、窓を開けて声をかけました。

「すみません!」
おばあさんがこちらを向いた、と思った瞬間です。
キェー!
奇声をあげ、お婆さんが鎌を手に車に向かって走ってきたのです。

え?
頭の中、真っ白。逃げなきゃ!とアクセルを踏みお婆さんを振り切ったところで、気づいたら見慣れた道に出ていました。あとは目的地まで一本道。いつの間にか、深かった霧も晴れていました。
結局、キャンプ場には遅れることなく到着し、無事取材することができました。その安心感で、ループに入っていたことやお婆さんに追いかけられたことは、まったく気になりませんでした。 

翌日、行きつけのヘアサロンに行ったところ、オーナーに新しいスタッフを紹介されました。
「この子、すごいド田舎から出てきたんですよ」と、紹介された新人さんは、コケシのようなおかっぱヘアの女の子でした。
聞けば、前日、取材で訪れたばかりのAの出身だと言うではありませんか。
そのとき初めて、前日の体験が中々に不思議なものだったことを思い出して、彼女にそれを話したのです。
「それ、狐ですよ」
え? 新人さんは、顔色ひとつ変えることなく言いました。
「あのあたり、よく出るんです。その時、霧が出てませんでしたか?」
そう尋ねられたので、頷いたところ、「間違いないです。悪いことはしないですけど、からかうんです、あのあたりのキツネ」。
腑に落ちるとはこのことか,と。
怖くもなく、ただ「ああ」と納得しました。

それから何年後だったか、そのキャンプ施設を訪ねたところ、キャンプ施設は跡形もなくなっていました。美丈夫のご主人も、しっかり者の奥様の姿もそこにあるわけもなく。別荘地 売り出し中と書かれた派手なのぼりが風になびいているばかり。
それこそ狐につままれたような心持ちで踵を返したのでした。

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