私の妊娠出産の記録、自己紹介

はじめまして。胎話×妊婦整体、小川たまみです。

私は妊婦整体とよもぎ蒸し、
赤ちゃんとの胎話で心と身体の出産準備をしています。


私自身も二児の母で、30歳で長男、35歳で次男を妊娠、出産。



1人目は5時間半で結構キツかったけど、
オリジナルの出産準備を重ね、
2人目は2時間での安産。

2人目に関しては、出産後、全く痛み無し!
2人目出産は35歳でしたが、30歳の産後より、全然楽ちんでした。
準備すれば高齢出産でもこんなに身体が動くのか!と、ビックリ。

今の私を簡単に紹介すると、

・一才の下の子供にイライラする事はない

・毎日下の子が可愛すぎて幸せ

・お客様に、「小川さんに会えて私は本当にラッキーです!」とよく言われる

・妊産婦を励ます仕事が羨ましい、わたしもやりたい!と言われる

・逆子や、切迫早産に対応できる

・不安な妊婦さんの相談に乗ると、
みんな出産が楽しみになって帰っていく

・授乳以外は何でも出来る、想像を越えるイクメンの夫がいる

・5歳の長男は情緒が安定していて落ち着きがあり、「どうやったらこうなるの!?」とよく聞かれる。手先も長男器用、5時間集中してガンダムのプラモデルが作れる

という感じです。


1人目の出産と産後で、
疑問に思った事を勉強・実践していたら、
人様に喜んでいただける仕事が出来るようになっていました。 


もし今、出来るならば、
タイムマシンにのって、
1人目妊娠中の自分を全力サポートしたいです。

当時の自分が知りたかった事は
今全て知っています。

本当に、昔の私の相談に乗って、
自分に整体出来たら、
どんなに出産と産後が楽になる事か!!

友達からも、
「もし、昔私が1人孤独に、何もわからず子育てしてた時に

たまちゃんの事を知ったら、何も考えずにすがりに行ったと思うよ。
もう、子育てが全然違ったやろうな…」
と言われ、
涙ぐんだ事もあります。いや、号泣…!!


まだまだ、悩めるママではありますし、
不器用過ぎて夫には心配されますが、

昔のジェットコースターのような

感情の不安定さは、もう無いです。


友達にも、「たまちゃん凄く変わったね!
使う言葉も態度も、全然前と違うよ」

と言われるようになりました。 


でも、まさか、
はじめからこんな感じじゃなくて。

少し長いですが、
私のここまでの人生について
書きますね。


1.両親が常にケンカしてる幼少期
2.実家を飛び出してのびのび生きる&ぶら下がり会社員になる
3.ライフワーク!整体との出会い
4.超ハッピーな妊娠期
5.甘くなかった出産と、ボロボロの産後
6.産後セックスレスからの、2人目妊娠
7.1人目出産時の不満がクリアになった、2人目の出産!


1.両親が常にケンカしてる幼少期

超奥手な両親が、子供が欲しい!結婚したい!と、頑張って8回お見合いしての、第一子が私。

私が産まれたばかりの時、

「こんなに綺麗な赤ちゃんが、本当に私達の子なのだろうか?!」

と、両親は信じられない思いだったそうです。
絵に描いたような、幸せ家族。

ただ、2年後に弟が産まれると、

母は育児が忙しすぎ、父は夜勤ありの仕事で休日は家業の農業もフルで手伝う、
もう想像するだけで大変な日々に突入。

母も父もこだわりのある性格な事もあり、
次第に夫婦の間にケンカが増え、
私が物心ついた時には、
夜目を覚ますと常に両親がケンカしていて、
取っ組み合う事も。

母が家出した事を絵日記に書いたり、
時には夫婦喧嘩で包丁が飛び出したり。
なかなかでした。
今でも、話すと、皆に超心配されます。
まあ、過ぎた事です。

小学校の時なんて、
「家に帰ったら、父、母、どちらか死んでるかも知れない。その時は、警察か、救急車か、どっちを先に呼ぶんだろう」
と毎日思いながら家に帰ってました。

当時の写真を見ると、3歳ごろからはピクリとも笑わない私が写っています。
まあ、一言で言うと針のムシロでした。
父と母が仲悪くて、心底辛かった。

あと、よく母に叩かれていましたw
大人が手を上げると、
パッと防御する癖がついていたくらいです。
今となっては、カケラも気にしてませんが…

母は口を開けば父の愚痴。
私が寝る前も、お風呂に入っていても、
やってきてはずっと呪詛のように
父の悪口を聞かされ、
私はいつも辛さのあまり、
シクシク泣いていました。

今なら、子育ても、仕事も大変で、
両親が疲れ切っていた事が、よくわかります。
仕方なかった。

でも、大好きな父と母が
お互いの悪口を言い合う

子供からすると、本当に、辛い環境でした。


ただ、両親を反面教師に、
結婚制度に疑問を持ち、
入籍が全ての間違いの元だと確信。

自分は、尊敬・信頼・愛情にもとづき、
嫌になったら即サラリと別れる事の出来る
子育てパートナーが良い!
絶対、事実婚!
と決めていました。
(30年後に、夫から猛プッシュを受けて、

まさかの入籍する事になるのですが!)


2.実家を飛び出し、のびのび生きる

そんなわけで、
大学で、ぜーったいに、一人暮らししてやる!!と決めていました。

受験勉強はめちゃくちゃ楽しく、

親の後押しもあり、
晴れて高知大学に入学!

今までは、気の合う友達は1人か2人。
中学もご飯一人で食べてて後輩に心配され、
高校も、今でも続く友達はいるけど
部活で自ら孤立したりして、
いささか孤独でしたが、

大学の、友達との気が合うレベルがやば過ぎました!!

え!?こんな事まで?
今まで読んできた本。見てきたドラマ。考えてきた事。気持ち悪いくらい、皆と話が合いました。

なんだったんだろう、高校までの孤独はw

台風に巻き込まれるかのような、
大恋愛もしましたよ!同じ人に、3回は告白しました。
そんな猛アタックが功を奏してか、
何故か棚からぼた餅的に、片思い1年の先輩と付き合う事になったり。

大学卒業時には、友達、彼、就職先、卒業、欲しいものは全て手に入れました!って、口走っていました。いや、本当に。

就職先は、アパレルのセレクトショップ。

超個性的で、今でも、困った時だけ助け合える、愉快な同期達!

先輩、上司にも、めちゃくちゃ可愛がっていただきました。お前ら面白いな!とか、君たち青春ドラマかい!?とか、よく言われたなぁ。笑

上司も容姿端麗で、仕事が速くて、家族も後輩も守ってくれる人が殆どで。

今でも尊敬してます!!迷った時、心の中で、〇〇先輩なら、どうするだろう?と、話しかけているくらいです。

一度、入社したばかりの4月に御局様にいじめられた時も、めちゃくちゃ守ってくれました!凄くないですか!?

しかし、3年経った頃、仕事が行き詰まり、どうしていいかわからなくなりました。素晴らしい先輩方にも、相談が苦手すぎて相談できず。

初めは楽しかったけど、毎日23時に家に帰る暮らし、疑問。有給?そんなの、本当にあるわけ?

疲れるあまり、12:50にはタイムカード押さないといけないのに、12:20にようやく起きて、慌ててシャワーを浴び、眉だけ書いて、お米をしゃもじで口に詰め込んで、自転車に飛び乗ってギリギリに通勤していました。

遅刻したら非国民という雰囲気の中、マジで寝坊して、二回遅刻。

自分が信じられなくなり、電車のベル級のうるさい目覚ましを2つ買ったのに、やっぱりベルの音が聞こえませんでした。

辛いし申し訳なくて。後輩の前で泣きました。

労働時間が長く、休みも少なく、たまに8連勤とかあって、自由好きな私は、次第に疲弊していました。体力もなかったし。

疲れるからと、1年間実家に帰らなかったら、久しぶりに会う両親が老けすぎて、泣きました。

給料も丸ごと使って、給料日前には銀行口座に600円くらい。

貯金しては、切り崩す。

同期も後輩も、どんどん昇格するのに、私は平社員。そんな人、私だけでした。

私みたいに、やる気なくて、仕事やめてまでやりたい事ない人、どうやってこの先生きていけばいいの??

生理前は重たい身体をひきづり、沼に嵌るような気分。売上も悲惨でした。

薄暗い暗闇を、彷徨っていました。

3.ライフワーク!整体との出会い

そんな中、27歳の時。

右足の付け根が痛くて、仕事に差し支えるから、整体に行く事に。

おっ!?身体が軽い、痛くない!

そして、その整体院では、なんと、生徒を募集していました!!

なんとなく、転職は癒し系かな。

と思っていたので、渡りに船と、飛びつきます。

私、実は、前世では、盲目の整体師だったんですよね。今の夫に手を引かれ、巡業していたそうです。後から知ったんですけどね!

うさぎの整体、という整体院の整体教室に月二回通い始めるという、

休みの日にただ自分を癒し、ダラダラ遊ぶ、消費するだけではない、

建設的な事を始めてから、人生がじわじわと、変化し始めました。

整体教室では、今思えば、自己啓発やスピリチュアルな話を勉強していました。当時は気づかなかったけど。

話すこと決まってないのに、はい!と手だけあげて、一番に話し始める!とかね。

はじめに学んだ整体教室で、大事な事は、全て教わりました。

カラダに詳しくなると、ムカつく上司の事も、あの人怒ってるけど肝臓が疲れてるのかな、とか新たな視点で見られたし、

技術を身につける事は、一つの安心でもありました。

相変わらず、年数だけ長くて、仕事の業績はビリか、下から2番目で、イライラして疲れてる酷い会社員でしたが、根底では静かな変化が続いていて。

やりたい事のない私が、仕事をやめてでもやりたい事を見つけ、前向きに、もう仕事の方が邪魔だから、やめよう!と、あんなに苦手な貯金をして、100万円貯めて、

彼氏いない歴5年でこの先もないだろうと思ってたら、気がつけば素晴らしい彼にも告白され、

本当は転職したいからだけど、どのみち結婚するので、結婚します!と言って、寿退社しました。



4.超ハッピーな妊娠期

「早く一緒に暮らした方が良いと思うから!」

と、彼が仕事をやめて高知に引っ越してきて、住民票も事実婚という事で世帯をまとめ、私は別の整体院でボランティアしながらの、忙しい日々がはじまりました。

子供は来年かなぁと話していたけれど、

家の近くで信号待ちしてる時に、

ふと「私の性格上、このまま子供無しで過ごしたらダラダラしそうだから、子供を育てながら整体のキャリアを積んでいくのもいいかな」と思いました。

その情景は、よく覚えています。

どうやら、この時、私は空の上の赤ちゃんに

「もう来てもいいよ!」と、心のゲートをオープンしたらしく、次の排卵日に即妊娠。

避妊すればいい事でしょうが、赤ちゃんの采配なのか、いずれ子供が欲しいと思う30代の夫婦が避妊するという事は、神に背くような恐ろしさがあり。気持ち悪くてできませんでした。

赤ちゃんが、早く産まれたかったのかも知れないですね。

夫と一緒に住み始めて、まだ1ヶ月。

正直、早っ!これから、仕事しようと思ったのにー!?と、落ち込みました。喜べなかった。


散々就活しましたが全落ち。ようやく、夫婦共に、「今は必死で働く時じゃないのかな?」と気付きます。

でも、どうしても、整体したい!

場所を貸して後押ししてくれる方も見つかり、ついに、個人で整体を始めました。かなり、ドキドキしていたし、60分500円くらい!?など、ボランティア価格で失笑されたりして。90分2000円から、スタートしました。

そうやって、ほんの少しずつ、本当にやりたくて、喜ばれる事で、お金をいただけるようになっていきました。

県外に勉強に行き、初めてイベントで整体したり、たくさんチャレンジしました。

みんなに親切にしてもらい、祝福してもらい、夫からもお姫様のように扱われ、

「たまちゃんと結婚出来て幸せ!」と毎日のように言われ、いってらっしゃいとおかえりのハグなども毎日だし、スッピンで布団に転がってるだけでも「可愛い!」と言われ。

とにかく、楽しい日々が思い出されます。

仕事は少しだったので、日中暇だし、妊婦の友達がいないのは孤独ではありましたが、

先輩ママが身近に沢山いて、赤ちゃんの爪の切り方、服の着せ方など、なんでも教えてくれて、お下がりも津波のように押し寄せてきました。   

安産のために、整体も毎月受けていたし、散歩も、朝晩の安産体操もしてたし、

もしかして、陣痛痛くないかも。噂に聞く、気持ちいい出産ができるかもな〜

出産、楽しみ!とまで思っていました。



5.甘くなかった出産と、ボロボロの産後

ところが。
予定日を1週間過ぎた、41週の夜、眠りから目が覚めると、5分間隔の陣痛が来ていました。

何これ、痛い、歩けない!

トイレに行くと鮮血。おしるしです。

トイレから寝室まで、息絶え絶えに這って、夫に病院まで運んでもらうも、もはや、歩けません!

あー、私、何で妊娠したいなんて思ったんだろうー!!バカバカ!スイートすぎ!ああー!!!時間を、巻き戻したい!!!

とんでもない痛み。なぜか、微弱陣痛。

3秒で心がポッキリ折れました。

自然なお産をおすすめする病院でしたが、点滴、吸引、会陰切開などして、出産は終わりました。

股も痛くて、思い出したくないレベルです。

それでも、元気そうと言われてましたが、

産後の骨盤ケアもよくわからず、全く骨盤を固定せずにすぐ分娩台から降りちゃって、内臓の下垂に悩まされ。

授乳も痛いし、1人の時間もないし、この理不尽は一体何なんだ!?と、人生でかつてない理不尽に、静かな怒りを覚えるとともに、冷静な決意をします。

これは、決して、次世代に引き継がないぞ!!

色々と、疑問を解決するために勉強していく中で、妊産婦整体に出会いました。

↓ここにも詳しく書きましたが、

不妊、妊娠中のトラブル、逆子、恥骨痛、尿漏れに対応する技術です。


「輝く人 ボディセラピスト 小川たまみ」


よもぎ蒸しも始めました。

子宮口をあたためて、出産時間短縮の事例が沢山あります。

6.産後セックスレスからの、2人目妊娠

そんなわけで、産後も股が痛くて、何度か試みましたがセックスレスに。


そんなある日、ふと膣に触れてみると、カチカチに!冷えてる!もうびっくりです。

股の皮膚もたるんでました。

そりゃ、尿漏れもするわ!

それからは、膣ケアを真面目に行い、よもぎ蒸しでお股を柔らかくし、ふかふか膣に復活!

それでも、2人目欲しい!セックスしたい!と、夫に言い出せず、子作りしても、出来なかったら、不能感を感じて辛いな…と踏み出せなかったり、モヤモヤしながら過ごしていました。

その間、子宮口まで赤くなるほどの膣炎、左卵巣と卵管の腫れなど、色々あり、沢山の人に心配されましたが、

整体を受ける、卵巣を手技や気功で揉む、

しっかり血行を良くする、などして対応、

じわじわと元気を底上げしつづけ、2人目を妊娠出来るレベルに。

満を辞して、3歳にして、上の子の断乳。

今でも、「私は絶対に妊娠したい!!」と、夫に宣言した瞬間を覚えています。

なんと、その2週間後には妊娠発覚。

断乳からは半年後でした。

全く期待してなかったので、ついに生理が止まったんだ!と悲しくなってました。

夫に「もしかして!?」と言われて、

妊娠してたらよもぎ蒸し出来ないから、一応チェックしとく?と、試すと妊娠陽性。たまげました。

あんなに望んだのに、またまた、仕事どうする!?上の子の保育所大丈夫かな!?あー!心配!となりました。

ちなみに、つわりはゼロ、妊娠5ヶ月の時には幸せ過ぎて一生妊婦でいい!!と思う幸せさ!!

妊産婦整体を受ける事で、とても身体が楽でした。

また、妊娠30週には助産師さん向けのトコちゃんベルトと安産のための身体づくりの講義も受け、ついに安産の作り方がわかりました。

良く寝る新生児ケアも学び、もう準備は万端!


妊娠中、幸い、四柱推命という新しい仕事も出来て、大変さもありつつ、やはり、妊娠って最高だな〜という気持ちで過ごします。


7.1人目出産時の不満がクリアになった、2人目の出産!

そうは言っても、やっぱり不安になりやすい、妊婦という生き物。

お腹の赤ちゃんと対話出来るようになっていたので、色々と相談しながら過ごしていました。

朝晩の散歩、セルフ整体、安産体操毎日100回とか、会陰マッサージ、プロのマッサージ、正産期には毎日よもぎ蒸しと足揉み。

幸せなお産をした人の話を聞く。良さそうな本は片っ端から読み、お産は辛い、痛いからのパラタイムシフトを起こす。

もう、持ち前の努力家爆発で、

やる事は、やりつくしました。

2人目も、また寝ている間に陣痛が来ました。1人目と全く同じ進行!

鍛えた事もあり、今度は足腰が立ちました。

考え方を変えたので、病院の助産師さんにも、ハッキリと痛い場所や、仰向けになると辛いため四つん這いになりたい!など、要望を伝える事が出来ました。

色々とグッズも準備しましたけど、準備が整った身体以外は、結局何も使いませんでした。

4年続けている詩吟を、分娩台の上で勝手に歌いながら、笑

歌上手いですね!呼吸法完璧!と褒められ、

可愛い、長男の声が響きながらのお産。

1人目の時は何が何だかわからず、不安で、心細かった。

今は、落ち着いていて、心なごやかで、あの時欲しかったものは、全部あるお産!

分娩室に入って、30分もすれば、生まれていました。穏やかな赤ちゃん!

身体も、どこも痛くない!

あの、まるで火の玉のような、生まれたての赤ちゃんの熱さを、私は一生忘れない。

対話していたので、前から知ってる人との、関係性が出来上がってからの、対面。

1人目の不安で疲れる産後とは、違っていました。


ストーリーは、以上です。


私は、運動も苦手だし、身体もペラペラで細くて、153センチ40キロです。

しかも、猫背!

ハッキリ言って、安産体型ではありません。

もし、私が自分のお客様なら、あー、赤ちゃん大変そうだな、切迫早産か逆子になるかも。と、警戒します。笑

また、妊娠中期は完全にサボってましたし、30週の時には、骨盤と、背骨がめちゃくちゃズレてて、あんた難産になるよって言われたり。

散歩は頑張りましたが、普段は五分も歩かない。ひ弱です。体力もないです。すぐ疲れます。

でも、こんな私でも、安産出来たし、

安産のコツを掴みました。これは、現代の妊婦さんにとって、かなり使えるメソッドなのではないか!?と思っています。


ここまで、とても長い話をお読みいただき、ありがとうございます!!!とても嬉しいです。


まだまだ、妊娠、出産、産後、子育ての課題は山積みです!

みーんなが、ハッピーになれる子育てワールドを作れるように、地道に頑張りますので、皆さんも同じ未来を一緒に作っていきませんか!?

今後も宜しくお願いします!!


妊婦整体、産後の整体、よもぎ蒸し、

お腹の赤ちゃんとの胎話、

バースプランアドバイスなどのホームページはこちらです!

また、YouTubeチャンネルでお腹の赤ちゃんとの胎話について話しています。

良かったらご覧ください^ ^







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