この惑星に住む全ての、愛すべき愚者たちへ

1998年3月。 
卒業式も終わり、友人たちももう帰ってしまっていた。
僕はもう少しだけここにいようと教室に残っていた。
39ホームルーム。36人のクラスメイト。正直交流がそんなにあったわけじゃない。話をするのは数人だけで、他の奴らのことは詳しくは知らない。
3年間の高校時代。親たちが羨むハイティーン最後の青春時代を僕は演劇部で過ごしたけれど、演劇部の存在意義は6月の文化祭での舞台発表くらいのもので、その他の時期は部活の連中と部室でおかし食べたりトランプやったりして過ごしていた。その部活の知り合いもすでに推薦で公立大学に進学が決まっており、卒業式をすっぽかして沖縄に行っていた。あいつらいつの間に勉強していたのか。
僕の将来といえば、正月明けに慌てて勉強して、なんとかそのままの成績でいける大学を先生に選んでもらい、親に金を出してもらって、地元の私立大学に行く事になっている。
理由は、「家から通えるから」。
その学校の専攻も、その大学を出て将来何を目指すべきなのかもわからなかった。高卒で朝早くから惣菜工場で働く親父は「俺の代わりに大学に行け。初任給が違う。」なんて行っていた。
卒業式は終わった。
僕の穏やかな時代は終わってしまったのだ。
これからは食っていける何かを目指さなければならないが、その前にもう少し、自分の席に突っ伏してまどろんでいたかった。
陽光が暖かい。
「おい、君。ちょっと手伝ってくれないか」
寝ぼけ眼で顔を上げると、山本が立っていた。
山本洋子。新聞部員。毎日廊下の掲示板という掲示板に自作の新聞を作って貼り付けている。UFOの謎とかUMAの出現。心霊現象とその内容はオカルトに偏っていた。彼女の前にはダンボール箱が山積していた。その中には大量の新聞紙。
「捨てたいんだ、全部」
「捨てちゃうんだ、全部」
僕はそのダンボールを眺めて、めんどくさいな、と思って眉を曲げた。
そういえば、僕は毎日この新聞を見ていた。その新聞は世界には怪奇が満ちていて、不思議な事がたくさんあると、情熱を持って訴えかけていた。朝登校するとこの新聞を眺めては少し笑って教室に向かう。それが日課になっていた。
「面白かったよな、それ」
「だから、持つのか、持たないのか。今ここに君しかいないんだ。頼めないか。」
僕は、実は3年間の感謝を込めて言ったんだが、彼女は特に聞いたそぶりもなかった。それがちょっとだけ癇に障ったので断った。
「仕方ない、何回か往復するか」
彼女は教室と焼却炉の往復を始めた。僕はそれを机に突っ伏して時折眺めていた。
そういえば、彼女は毎日のように新聞を作っていたのに、それを見るものはほとんどいなかった。
掲示板に貼られている他のものは進路相談や生徒向けメンタルケアのチラシ、部活動の案内、募金、会社説明会、地域活動、ボランティア、などなど。事前に先生がチラシ内容を告知するようなイベントもあったから、そういうものを見る者はいた。彼らは多分、大人たちの輪に入るきっかけを探してたんだ。将来をある程度決めていく時期にある高校生にとってそういった活動は重要である。
いや、山本の新聞の周りに人だかりができた日が1日だけあった。
そう思いついたとき、焼却炉からもうひと往復するために山本が帰ってきた。
山本が取り上げた段ボールに入った新聞の記事の見出しにはこう書かれていた。
『校長の不倫発覚!学校の威信失墜。生徒の進路に影響か。』
当時、その新聞を山本はホテルから出てくる校長と不倫相手をカラーで撮影した写真とともに掲示板に貼り付け、号外を発行して生徒たちに大声で配って回った。さらにその不倫相手が過去殺人を犯して居どころを隠すために数人の男を誘惑して隠れ家を提供させていた事が発覚するやいなや、警察も学校に何度か来て大騒ぎとなった。その件も山本が事前に記事にしていたことから露見したことだった。
「すごかったよな、そんとき」
僕はその新聞を指差して言った。
山本はキョトンとして、そして記事を見て言った。
「これはひどかった。つまらないことしたな」
つまらないだって?僕は山本に言った。だってあれだけの人だかり、注目度、重要性、警察を動かした影響力、事件性。そしてそれを調査して記事にした山本の技量。地元の地方紙の記者からお呼びがかかったって噂もある。あの時山本の将来は決まったも同然だったろう。僕のようにフラフラすることもなく、こんな凄い記事を書く仕事をしながら、働いて、生きていくのだろう、そう思った。
しかし、山本はため息をついて言った。
「何もわかってないな君は」
山本はその記事が入った最後のダンボールを抱えて言った。
「つまらない方向に全力を出すからこうなる」
山本はため息をついて、ダンボールを抱え直した。
そういえば、山本は小柄だ。ダンボールがひどく大きく見えるし重そうだ。焼却炉までには距離があるし、陽も落ちてきて肌寒くなってきている。
僕は立ち上がって、自分の学生鞄を山本に預け、ダンボールを持ってやることにした。
ひどい重みだ。
「そういえば、お前、将来何になるんだよ」
「知らん」











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