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April Showers 前編

 四月。僕は新宿東口を出て、歌舞伎町の紀伊国屋に向かっていた。
案の定、人はごった返し、奇抜な格好をした若い男女、黒服を身にまとい、ワックスでガチガチにした髪で歩く男、観光で来たであろう、キャリーバッグを複数持った外国籍の家族など、千差万別のバックグラウンドを持った人間たちを、この町は見境なく飲み込んでいた。僕も、抵抗することなく飲み込まれることにした。

 プロジェクター沿いの信号を渡り、自分達より背の高い、建物という無機物に囲まれ、元来持っていたはずの存在感というものを、全くなくしてしまった木々たちが視界に入る。自然というものは、この場所においては、完全に支配下に置かれている。僕は思わず、足を止めてしまった。立ち尽くした時間はほんの5秒に過ぎなかったが、ぼくはこの間、この街を、実家のある小さな港町と同じように感じた。全てが慣れ親しんだ、見知った人たちに囲まれて生きていた、小さなあの頃のように。同時に、僕はこれからどこに向かえばいいか、全く思い出せなかった。紀伊国屋の場所が分からないわけではなかった。それよりも、僕の下、地面と同化し、僕と歩を同じくする座標が消え去ってしまったかのような感覚だった。地元の潮の匂いのする、ゆったりとした浮遊感の中で、僕は一度、XもYもない世界に落ちた。ただ、それはほんの短い時間だけで、またすぐに新宿は新宿となり、僕は薄い座標を取り戻した。

 胃の調子が良くなかった。胃の調子がかなり良くなかった。僕はこの1カ月弱の期間、人生で初めて、食欲が消滅するという現象に直面していた。というより、食事という短い快楽の後に来る、その時間よりも長い、体内で起こる苦痛への恐怖が打ち消し合うことで、僕は、労せずに体重は減少し、肉体的な強度も減少した。

 もうすぐ夕方になる新宿には厚い雲がかかり、俄雨が降っていた。僕は新宿という街を、この一年で何度歩いただろうか。1人で歩いたときもあった。2人で歩いたときもあった。昼に歩いたときも、夜に歩いたときも。だれと、何時に歩こうとも、物質的に新宿という街は、どこまでも新宿だった。その時によって変わっていたのは、僕の方だ。人間の方だ。
一つとして同じ感情は湧かず、一つとして同じ言葉はそこになかった。表現できない悦び、今までの自分と違うものを手に入れたときの高揚、孤独感、無力感。それら全ては帰路の途中の山手線で消え去るようなもので、今はもう何も残ってなどいなかった。今抱いている感情も、次の日の朝には消えてしまうものだ。全ての感情は、綺麗に消えてもこびりつく。
 
 変えられると思っていた。自分のかたちを、何にでも変身されることが、できると思っていた。もうずっと、何日も何か月も、何年も、夜に自分が、何か自分ならざる存在になる期待に身を膨らませながら眠りについていた。そうだ。そして今日、僕は目を覚ました。いやもとい、
「ある朝、僕が気がかりな夢から目ざめたとき、自分が布団の上で一匹の巨大な虫に変ってしまっているのに気づいた」*
 
 家のドアを開けるのに、とても苦労した。僕の手は、昨日までの僕の手ではなく、何かゲジゲジした、か細いか細い何かになっていた。身をよじってなんとかこじ開けた。服を着ようとしたけど、脚の本数がシャツとズボンの袖の本数に合っていなかった。仕方ないから僕は、一つの袖に2本ずつ手足を通し、それでも余った分の手足はシャツの中に入れたまま、この新宿まで来たのだ。僕は駅まで向かい、改札に入り、乗り換えで山手線に変わり、巨大な人の波を受け止め、受け流し続けるこの駅まで来た。僕は、誰の目に留まることなく、普段と勝手の大きく違う躰でここまで来た。誰の目にも留まることなく。

 涙は出なかった。体液も何も出なかった。ただ空気のような、それとも何かが崩壊したような原子で構成された、気体を吐き出すのみだった。何もならなかった。何もモノにならなかった。何かを変えることも、何かに変わることも、何もならなかった。あるのは脳みそにある灰だけだった。燃えた後に残るのは、灰だけだったのだ。





* 鉤括弧の文章は、[グレゴール・ザムザ]を[僕]に、[ベッド]を[布団]に変更して引用しています。







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