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あなたの声を聴かせて~ヴィシュダチャクラのワーク~

先生だけど生徒でもある

今日は占いスクールで6回目の講座でした。今日を含めあと3回で講座が終了になります。
講座を始めた頃は、私なんかが先生で大丈夫?役不足も甚だしいじゃない。って思っていました。でも「vice versa=逆もまた真なり」ということわざや、エメラルドタブレットの「上にあるものは下にあるもののごとく」や、カバラの思想「内にあるものは外にある」という考えを取り入れ、先生とはは生徒でもある。よって、一人くらいは生徒さんに教えてもらう先生がいてもいいかな?と逆転の発想をして開き直りました。


花を飾ると、神舞い降りる

講座の準備も行き当たりばったり。テキストを作っておいて読み直すこともなく、当日は生徒さんにお花を配ることとか、チャクラに合うアロマやフラワーレメディーを用意するとか、そんなことばかりにうつつを抜かしていました。
「花を飾ると、神舞い降りる」という須王フローラさんの本が好きなので、生徒の皆さんにお花をお渡しして、おうちに神様や妖精が来てくれると良いなぁ。と妄想します。ニヤニヤしながら電車の時間に遅刻しそうなギリギリまで、お花を用意して着の身着のまま駆け込んでいます。
この2回ほどはチャクラのカラーに合う花と香りのよいお花をセットにして皆さんにお渡ししています。お花があると皆さんが喜んでくれます。教室にお花の香りが広がるので、空気が柔らかくなって、皆さんいい笑顔を見せてくれます。皆さんの素敵な笑顔を見ているとお勉強そっちのけ、とっても嬉しい気分になります。
知識を詰め込むお勉強よりも、一輪のお花の方がよっぽど大事なことを私たちに教えてくれると思います。
私の基準ではテキストよりも、素晴らしい知識が書かれている貴重本よりも、お花の方が価値があり重要です。


ヴィシュダチャクラは嘘をつかない

お花で教室の空気が和んだ後、のんびりとテキストの内容を説明していきます。基本的なことだけをピックアップして、あとは皆さんとお話をする展開になっています。
今回はヴィシュダチャクラなので「純粋なコミュニケーション」や「真実を語る」みたいなテーマがあります。
ヴィシュダは純粋さを表すため、クリアなコミュニケーションを求めます。でも、本音と建て前を使い分けないといけない社会生活を送る私たちにとって真実を話すことって結構難しいことだと思います。

日本は特に本音と建前の風潮が強いように思います。個人的な意見を述べると「和を乱す」とか「空気が読めない」みたいにあっという間に同調圧に圧殺される空気に満ちていると思います。これは幼少期の家庭環境が問題なのか?学校教育が個性を刈り取っていくせいなのか?
知らないうちに、私たちは自分の意見を言えない、語ることができない状態に追い込まれていると思います。

子供のころに親が厳しくて言いたいことを言えなかった経験がネックになっていたり、優等生じゃないと認めてもらえないから本音を押し殺して、求められる役を演じていたり、様々な背景があるのだと思います。

言いたいことを言えずに本音を押し殺している人、本音を押し殺して社交辞令や建前的コミュニケーションといった嘘ばかり語る人、いずれもヴィシュダエネルギーの停滞を招いていると思います。


占いカフェは本音と建前のせめぎ合い

これを書くのはあまり良くないと思いますが、商業的な占いを10年以上続けていると占いが嫌になることがあります。
純粋に占いをできればいいのですが、忖度を求められる場合もあります。
会社的にはお客様ファーストなので、接待占い師に徹しないといけないのですが、そんなことやっているとだんだん占いがめんどくさくなって嫌になって、やめたくなります。
だから、会社やお客さんの不興を買っても構わない、クレーム覚悟スタイルに変えました。
私は気性が荒いので、占いに依存している人にはかなり辛口でいきます。
自力で頑張っている人はそのままGO!「あなたは才能があるから占いに頼らなくても大丈夫、万が一うまくいかなくてもそれをバネに成長できるから大丈夫」って煽ります。会社が高い広告費を払って集客しているのに、占いに頼らなくて大丈夫とか言うのは営業妨害かもしれません。

こんな感じなので収入は激減しましたが、激辛鑑定を好んで依頼してくれるコアなお客様も見え「世の中はいろんな人がいるなぁ」と思います。
とはいえ、接待鑑定やあげ鑑定しない、鑑定時間が短い、リピート誘導をしない、アフターメールをしない、サービス精神がない占い師なので近々お払い箱になる末路です。

そんなぶっちゃけ話をしていたら、生徒さん達も同じ悩みを抱えているとおっしゃって見えました。
占いが接待みたいになってしまうから苦しくなるのだと思います。それでも、ちゃんと本当のことを、本当に大切なことを伝えようと皆さん葛藤しながら自分なりのやり方を模索されているようでした。


あなたの声を聴かせて

ヴィシュダチャクラのテーマ「純粋なコミュニケーション」や「真実を語る」についてお話をしている時、一人の生徒さんが目に涙を浮かべていました。
この方は大きなキレイな目がとても印象的で、普段から言葉数が少ない方でした。でも、講座の時は大きな瞳で真っすぐに私の方を見てくれて、たくさん瞬きをしながら、真剣にお話を聞いてくれていました。
瞬きが多いので、長いまつげが揺れるたびに「何か言いたいことがあるんじゃないかな?」と思い、彼女に話を振るようにしていました。
私が話を振ると、ちょっと困った顔をして、それでもゆっくりと自分の言葉で丁寧に答えてくれました。

今日も「どうしましたか?」と彼女の方を向いて声をかけると、涙を拭きながら「普段、本当のことを話すことができていないな、って気が付いてダメだなって思いました。でも、本当のことをどうやって話したらいいのかわかりません」と答えてくれました。
彼女は子供のころから良心の顔色を見ながら生活をしていて、言いたいことを押し殺しながらここまで来てしまった。とおっしゃっていました。

でも、たった今、彼女は本当のことを教室のみんなに話してくれました。涙が出るくらいツライ気持ちをみんなに話してくれました。これは嘘のないとても純粋な言葉だと思いました。
本当のことを話す時、勇気がいると思います。否定されたらどうしよう?とか、変な人って思われたらどうしよう?とか、理解してもらえなかったらどうしよう?とか、いろいろ不安になると思います。

本当のことを話す時「相手のことを信頼する」ことが重要になると思います。話を聞いてくれる相手を信頼して、理解してもらおう、伝えようとする勇気が必要になると思います。
彼女はクラスのみんなを信頼して、勇気を出して、本当のことを話せないつらさを伝えてくれました。
このことがとても嬉しくて、私も泣きそうになりました。
それでも、先生的な役目なのでぐっとこらえました。
本当のことを話してもらえると、こんなにこころに響くものなのだな~と、彼女のまっすぐできれいな目を見ながら思いました。


「vice versa=逆もまた真なり」話すことと聞くことは同じ

彼女は”自分が本当のことを話すことができない”と思い込んでいるのですが、それは少し違うのです。
私は知っていました、彼女はとっさに一番大事なことをするりと自然に話すことができる本音トークのベテランなのです。

以前、ZOOM受講をされている方で「人が集まる場所が苦手」という生徒さんに対して、「こっちで一緒に勉強しましょうよ?」と声をかけてくれたのは彼女でした。
絶妙なタイミングで、凄く自然な感じでリアル受講を促してくれました。これは言葉のキラーパスだと思いました。凄い誘い上手だな~って思いました。
彼女の澄んだ瞳で見つめられて誘われたら断れない。そんな感じで、凄くフラットな感じで、ふわっとさりげなく声をかけて見えました。
なんかもう、言葉より大きくてきれいな彼女の目がたくさんのことを語っていると思います。
とっさの発言に人のセンスというか、本質というか、そいういうのが出ると思うのです。

絶妙なタイミングで発言できるのは、彼女が普段から他の人の話をよ~く聞いているから、丁寧に相手のお話を聞いているから、相手の間合いにすっと入って「ここしかない!」という絶妙さでキラーパスみたいな言葉かけができるのだと思います。

vice versa=逆もまた真なりではありませんが、「真実を語る」ためにはほかの人が語る「真実を聴く」ことも必要で、聴くときには言葉だけでなく、声のトーン、間合い、音程、呼吸のリズム、表情、しぐさといった非言語的なものも統合的に聴くことが必要だと思います。
彼女はそれができていると思います、だから、ほかの人の言葉にならない真実を聴き取って「こっちで一緒に勉強しましょうよ?」と声をかけてくれたのだと思います。
彼女は無意識に真実を話すことができているから大丈夫。でも、意識すると胴話していいのかわからなくなるだけだから、一緒に練習をしましょう。とと伝えました。
普段から思ったことをもっと言葉にしてください。と、お願いしました。少なくとも、講座がある間は、このクラスの中では思ったことをどんどん自由に話して本音でお話する練習をしてください。とお伝えしました。

これは私の自己満足かもしれませんが、本当のことを話すこと、本当のことを聞くことって、人と人との間にある壁がなくなって凄くあたたかいな。って思いました。
今日も皆さんからとても大切なことをお勉強させてもらって、先生役の私が一番学ばせてもらっています。素敵な先生たちに感謝です。