見出し画像

2020年1月前半の日記

 年明け。いつもどうやって迎えていいのか分からずにいたけれど(というか当直勤務していることが多かった)、今年は七か月の子どもと迎える。本当はもう寝ていてほしい時間だったけれど、普段とは違う環境だったせいか興奮して起きていた。クッションを振り回して叫びながらのカウントダウンを見せてくれる。

 年末年始は香川にいたので、大晦日の昼は年越しうどん、年をまたぎながら年越しそば(海老の天ぷら入り)、一日の朝はあんもち入りのお雑煮とおせち料理を食べた。あんもちのお雑煮は教科書で見たという印象だけがあって、初めて食べる時は恐々だったけれど、最近は慣れて美味しく感じる。白みそ、まるいあんこのお餅。あまじょっぱい。徳島の一部でもあんもち雑煮は食べられているとのこと。

 今までつくってきた短歌や歌集が、だれかに、あなたに、届いているんだと感じることが多くてありがたい時期だった。ツイキャスで、『硝子のボレット』の歌の紹介や、『ピース降る』をこんなところで見つけたというお話をしてくださる方々がいて、わたしは今、地方としか言えないところにいるけれど、わたしよりもわたしの歌は遠くに行けるのだと思った。

 わたしの歌に出会ってこうだった、という大切な思い出を教えてもらえたのがうれしくて、こんな風に変わったと言ってもらえて涙が出たわたしも、そう言ってくれるあなたのおかげで、救われていると思った。忘れたくないな。

 でも、子どもができて、前みたいに気軽に遠くに出かけられなくなったせいか、遠くに遊びに行きたいな、遠くの歌会や批評会、ライブに行きたいなと切に願うことも増えた。

トーキョーに来るたびにお茶しすぎるよ ぜんぶ追伸みたいな会話
/ 笠木拓『はるかカーテンコールまで』(港の人)

 トーキョーは遠く、行くためには時間もお金もかかる。せっかく来たんだから誰かと会わなくちゃって、時間を埋めていくあの感じは、これからもつづくんだろうか。それとももう少ししたら、アクセスがびっくりするほどよくなってしまうんだろうか。

 1月12日は、徳島市立図書館で開催されたトークイベント「吉村萬壱 小説という悪事~芥川賞作家がガチで語る 創作の本質~」に参加。徳島は常々文学不毛の地とされてきたけれど(まあ、そもそも人が少ないもんね)徳島文学協会の発足を機に、これまで光があたりにくかった地方の書き手や地方の文学が実は熱いことが分かり始めているようで、楽しい。こういうトークイベントが徳島で聴けるのもありがたいことだと思う。第三回目の募集が始まったばかりの阿波しらさぎ文学賞は、地方の文学賞なのにぶっ飛んでいるというところもいい。

 吉村萬壱さんによるお話は何度も笑えて、考え込まされて楽しかった。ダメな作品のお話などは特に印象に残っていて、自慢話、過剰な文学的表現、自分を特別だと思い込んでいる、駄洒落、物語に回収されない単なる思いつき、小説を使ったかまってちゃん……自然体がいちばん。短歌もやなあ。

 それから、筆がのっていくらでも書けている時はだめなとき。いいときは、一行ごとに息をついてしまうような、そのうえに満足感もないようなとき。いちばん大事だと思って書いているものがいちばん邪魔なものだったりする。対象との距離を考える、筆の温度が上がりすぎないように冷ます、と吉村萬壱さん。

 先月まで標準より小さかった子どもは、この一ヶ月でいきなり一キログラム爆増するという秘技を見せてくれた。スプーンやお皿にまで食いついてくる勢いでたくさん食べてガチで運動しているので、赤ちゃんらしいぷくぷく感はなく、筋肉質。なんなら胸板がある。たっちも安定してきて、30秒くらいは支えなしで立位を保っている。椅子を押して歩くこともある。はええ。

 きっともうすぐ、どこにだって行けるようになるよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?