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【エルザ・スキャパレッリ】ショッキング・ピンクの生みの親

エルザ・スキャパレッリ(1890-1973年)

先日、昨年の12月末に98歳で亡くなったピエール・カルダンの映画を観て、彼が独立前にアシスタントとして務めていたメゾン、エルザ・スキャパレッリのことが気になったので調べてみました。

1890年にローマで保守的で知識人の貴族の家に生まれたエルザ・スキャパレッリは、1930年代をリードしたデザイナーの一人です。1920年代の服装のカジュアル化・スポーツウェアへの流れを汲み取ったスキャパレッリは、ニットウェアを専門とした事業を始めたのでした。

スキャパレッリは、若い頃から芸術に関心がありました。29歳でニューヨークへ渡っていますが、そこではマン・レイやマルセル・デュシャン、フランシス・ピカビアやその妻ゲイピーなどと交際していました。自身の事業においてもジャン・コクトーやサルバトール・ダリなど、芸術家とのコラボレーションを展開させていきます。保守的な環境に生まれ育ったスキャパレッリですが、その反動からか、生み出すものはとても斬新なものばかり。伝統からの脱却を目指し、布や他のアイテムを通常とは異なる用途で使用するなど、様々な試みをしています。例えば、防寒用のツイード素材をイブニングウェアに用いたり、高級絹織物のタフタを防水してレインコートに用いたり。その他にも、特徴的なデザインでも注目を浴びます。子羊肉のカツレツの形をした帽子や靴は、シュールリアリズムの芸術家たちに通じるものがあります。また、スキャパレッリは動物やチェスの駒など、工夫を凝らしたボタンへのこだわりは、とても強いものでした。

あらゆる新しいものを率先して取り入れたスキャパレッリは、レーヨンやナイロンなどの合成繊維を扱う服地メーカーのシャルル・コンコンべとも協働します。一般的には、合成繊維がファッション界で流通するのは第二次世界大戦以後のことですが、スキャパレッリはいち早く新たな素材に目をつけ、自身のファッションに取り入れました。さらに、セロファンや透明プラスチックなども好んで用いました。一方で、19世紀に創業したパリの有名な刺繍業者ルサージュとも協力関係にあったというのはとても面白い点ですね。伝統を重んじる一方で破壊し、新しいものを生み出していく。パンクな精神は、後のヴィヴィアン・ウエストウッドにも通じます。

また、スキャパレッリはジッパーの潜在的可能性に気づいた最初のファッション・デザイナーの一人です。キャサリン・ヘプバーン、ジョーン・クロフォード、グレタ・カルボ、マレーネ・ディートリッヒなどの舞台や映画の女優たちは、実用性と華麗さのあるスキャパレッリの作品を好んで着用しました。また、スキャパレッリの服には、印象的なピンク色が用いられています。ショッキング・ピンクです。このように述べていくと、スキャパレッリがファッション界に及ぼした影響の大きさがとてもよく分かります。

1930年代に一斉を風靡したスキャパレッリですが、第二次世界大戦後はクリスチャン・ディオールのニュールックを筆頭とする保守的なフェミニンスタイルとは相入れず、人気は低迷するものの、独自のスタイルを貫き、後のモスキーノやジャン=ポール・ゴルチエなどに大きな影響を与えました。

スキャパレッリは1954年にデザインから退き、自伝『ショッキング・ライフ』を執筆しています。2008年に日本語版が出版されました。
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今回の記事の内容は『世界服飾大図鑑』を参考にさせていただいています。
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