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土鍋パーティ 船と決断 #まいにち土鍋

舟を焼く

個人的なものが詰まっていれば、焼いても残ると祈りながら。どこかに贔屓目ひいきめな感情が芽生えてこそ、夢中になれる。屓(鼻)をあらげて、贔(重い荷物)を力んで持ち上げるように、人やモノに対しても、そうやって力添えしたり優遇したり、できるんじゃないかな。



土は肥えるだろうか

つまりは、工房をいちど一掃することを決めた。もう後戻りはできまい。そこに残る土が肥えるかどうかはわからないけれど、もう進むしかない。じたばたしないで泳ぐしかない。

亡き父が夢で「恐れていてなにもしなければそれで終わりなのだよね」と、生前の性格とはちょっと違うんじゃない?と思うような名調子で言った。人生の大先輩は2日もつづけて夢に登場し「惜しむ気持ちがあったらわたしが回収するから」と、生前通りの悠揚迫らぬ態度で言った。まあ、ふたりとも、なにをぐだぐだ言っていないで、さっさと舟を焼いて進めというようなことだった。


身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

「陶芸が好きなんですね」「好きだからできるんですね」とよく言われるけれど、そうではない。陶芸は自分らしいひとつの手段であり、周辺に好きなもの、経験したいこと、会いたい人がいるから、その自分ができる手段をつかって、夢中になって進んでいるのだと思う。

好きな仕事はなくてもいいんだと思う。逆だと思う。生きているまいにちに贔屓を見つけるから、仕事をして、そしてそれが糧になるから好きになるんだと思う。いちど舟がなくなっても、その贔屓を抱えよう。どこかの瀬にたどりつくように浮かんでいよう。じたばたせず浮かんでいるので「おーい、こっちだよぉ」と呼んでいただけたら幸いだ。

そうそう蛇足だが、山で迷い道しそうになったとき、前の知らないおじさんたちのパーティが「ピーィ」とホイッスルを鳴らしてくれ、難を逃れたことがある。気のせいじゃない、2回か3回。先に進んだパーティが不明確な道だと判断し、すれ違った私たちの面影を重ねて鳴らしてくれたんだ。

そうやって、声を掛け合ってちょうどよい距離で生きていける世界が築けたらいいなと、ある大きな決断をした。これからは地域に根づけるよう、苦手だった群れの価値も少しずつ知りたいとも思う。足元の道と、足元の根っこと目があった日に。さて、舟もないところからはじめますよ。




7月5日(日)

炊く「土鍋コッチョリーノ3合炊きサイズ」
盛る「ミニ土鍋コッチョリーノ2合炊きサイズ」
盛る「ミニミニ土鍋コッチョリーノ0.5炊きサイズ」

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