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八重のヤマブキ

春のタケノコ

わたしという名のタケノコは、誰にも抜かれず太陽にぐいぐいと引っ張られる。

土から顔を出し外界の空気に触れたその節目は、気まぐれな春の天候にさらされる。ぐっしゅりと雨をふくんだ土から出たばかりなので、冷たい風が吹くと寒いけれど、やわらかい陽の光でも充分あたたかい。どうやら、わたしのからだは、しなやかであるらしい。

皮をはぎ光を浴びて、節目はどんどん強くなる。
柔い節目が要のところで声をかけてくれる友人。

八重のヤマブキ

八重という名を頭にのせたヤマブキに、声をかけられる。言葉数は少なくともそのひとことは和歌の響きであることがわかる。

七重八重 
花は咲けども山吹の 
実の(蓑)一つだに無きぞ悲しき
(兼明親王/後拾遺和歌集より)

後拾遺和歌集に残された和歌を毎春思い出す。
実をつけない八重ヤマブキと、蓑が一つもなくお貸しできない状況をかけた切ない歌。

タケノコは寒くない。蓑がなくても大丈夫よと返す。八重ヤマブキの声がうれしかった。


あとがきコッチョリーノ

▶︎諸事情とシワがよった仕事の山が重なり、タケノコはもがいている状況ですが、少しずつ浮上して参りたいと思っています。スマートフォンからささと投稿。▶︎そんな状況の中、静かな友人が手づくりしたヤマブキ色の和菓子を分けてくださいました。▶︎庭の奥には、もう随分と前に他界した義母が分けてくれた八重のヤマブキが満開。▶︎写真の小皿コッチョリーノはミラノ弟子時代の作品です。

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