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お惣菜とゆくらすという生き方 沁沁と満月を #まいにち土鍋

忙しくても疲労困憊でも3食とる。
健康のためだけでない。想う時間をつくるためだ。

買ってきたお惣菜をうつわに移す。このひと手間だけで意識が変わることに気づいたのは、子どものころポテトチップスを食べるときに親が言ったあの一言だ。インスタ映えとか、そういう見た目ではない。気持ちの話。



「ポテトチップスやかっぱえびせんもお皿に出して食べてごらん」

幼少期、スナックは体に悪いと教えるのでなく「お皿に出して食べてごらん」と言った親には、大切なことを教わったと思っている。

冒頭の夕食シーンに関しても、「お惣菜を買ってしまったごめんなさい」なんて思ったことはないし、そんなこと思う必要ないよと巷の話題を見聞きして思っている。むしろ利己的な考えなんじゃないかと思ってるくらい。料理してもらうこと、ましてや、それをビジネスにするにはたいそうな労力が要るのだから。

スナックが悪だと言ってもマイナスの心になるだけ。それよりも自分で「ゆくらすこと」を考えてごらんというのが、示唆だったように思う。

うつわにうつして俯瞰する。お惣菜を作った人のことを考える気持ちの余裕が出て、ありがとうと思える。目の前にあるものが「もの」に見えなくなり「想い」に変わる瞬間だ。ちょっと余裕が出て、庭のバジルをのせてみる。その服が似合ってすてきだから、ブローチを着けてあげたくなるような。


ゆくらすような生き方を

漢方の先生がそう言った。「月が満ちて欠け、潮が満ちて干くように、過剰や不足をくりかえして、ゆくらしてカラダの真ん中をさぐる」と。

うつわにのせるだけで、満ちるも欠けるも、同時にわかるような気がする。さあ、満月。この家で沁沁と満月を眺めるのは最後になるだろう。


8月11日(木)
盛る「ミニ土鍋コッチョリーノ1合炊きサイズ」
盛る「ミニミニ土鍋コッチョリーノ0.5合炊きサイズ」
盛る「グラタン皿コッチョリーノ」



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