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たぶんで生きる

すみません時間をください!(手を合わせちゃってるしnoteにまでお願いしてみた/時短のため下書きなし校正なしで投稿しちゃう)

「時間はつくるものよ」なんてアトリエの中のひとは誰かのマネして言ってみるけど、本当は信じていない。「つくる」ことはなんでも労力がいるのですもん。

今週末は今月末だとはしらず、「あーぶねぇ」的な冷や汗がでて、誰か時間をくださいっ!といいまくっているのです。(キュウキョクは子どもみたいになる)。⇩またぐでたま出します。

そうそう工房の時計がこわれて3ヶ月になるので、わざわざiPhoneをポチンしないと時刻がわかりません。工房で手がドロドロなのでそれも休憩のときしかできません。

ちなみにリビングにもかけ時計は住み始めたときからありません。ようやく数年前に写真の「ぺっぽー時計」(うちの呼び名)が置かれました。鳥が鳴いてくれるので自然に「たぶん」を知ることができます。難しいのは「12時半」「1時」「1時半」どれも1回しか鳴りません。ここ絶妙に腹時計をきかせます。

(写真: 陶「つみきピッコロ」陶「ん」)

「たぶん」で生きてるからかなりプリミティブ感が鍛えられますが、知らずに朝になっていることも多々あり。やっぱり時間なんてつくれてなくてただ消費していくものじゃないとつま先で石をける。

たぶんな人生は、時間をつくるもナンセンス。とにかく「ください」!

(追伸)いただいたコメントの中でとびだした名言「追い込まれても老い込まれるなわたし」…これを掲げて制作をつづけていきたいと思う今日この頃。

Cocciorino 地球のかけら

#コラム #陶器

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