棟方志功の《女人観世音版画柵》と《谷崎潤一郎『鍵』の挿し絵》、心から愛し合うことを想う
わたしは大原美術館で棟方志功の作品に出逢い、大好きになりました。《女人観世音版画柵》の〈仰向妃の柵〉
まず女人観世音菩薩を仰向けにした姿に驚きました。ものすごいインパクトがありました。
両目の上にある「第3の目」と髪型が菩薩を表していて、そのほかは裸の女体です。
明るいだけでなく「憂い」があり、岡本かの子の詩もなんとなく哀しいんだけど、わたしは一瞬で好きになりました。
それからいろんな棟方作品を見るようになりました。
棟方作品で、谷崎潤一郎『鍵』の挿し絵があります。
仰向けになっている裸の女性。
天井を向いてグラスを持つ女性。
お腹に眼鏡がのっている!仰向けの裸の女性。
眼鏡の男性の下に仰向けになっている裸の女性。
〈挿し絵の女性〉と、〈女人観世音菩薩〉。
同じ仰向けの裸体なのに、何か違います。
何が違うのか。
〈挿し絵の女性〉は、相手と目を合わせていない。
〈女人観世音菩薩〉は、相手と目を合わせてる。(相手が描かれてないけれども、相手に目を向けているように見える。)
〈挿し絵の女性〉には、虚しさを感じる。相手を愛していないように見える。
〈女人観世音菩薩〉には、ほのかな愛を感じる。ただ、岡本かの子の詩で、〈女人観世音菩薩〉は空しい。と言っている。お互いに愛し合えてはいないようだ。
本当はお互いに心から愛し合えるといい。愛してる。幸せだよ。と言い合いたい。
相手と目を合わせて見つめ合うことは、目合い(まぐわい)にとても大切なことなんだ。
代々木忠監督の著者『つながる』や『生きる哲学としてのセックス』に書かれているのを思い出しました。
わたしは最初は知らなかったことでした。代々木監督のご本に出逢い、目を合わせることの大切さが遅まきながら、わかるようになりました。
それからわたしの心がどれだけ相手にゆだねられるか、が大切なのだろう。相手にゆだねて、言葉で伝え合う。「愛してる。」「大好き。」
心から愛し合える〈女人観世音菩薩〉の顔は、幸せに満ちてもっと美しくなるだろう。
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