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【京伝びとストーリーvol.13】酒造りの先にあるもの

はじめまして。羽場洋介です。創業1673年。350年の歴史をもつ京都・伏見の老舗酒蔵である玉乃光酒造の副社長やってます。日々のお仕事の中で感じることを、思うがままに毎週土日に投稿しています。
今回は、酒造りの在り方に関するお話。

酒造りっていろんなやり方があるんです。

他の酒蔵さんとのお付き合いの中で、いろんなお蔵さんにお伺いします。それぞれにやり方があって、何が正しいというわけではない。それが酒造りの醍醐味でもあるんです。

現在の酒造りの手法は概ね江戸時代には完成していたとのこと。それから400年がたった今も基本は変わらず、より効率的に、安定的に作れるように、技術が磨かれ続けてきました。

業界の中で、酒蔵同士が酒造りの技術を高め合う仕組みはあるものの、基本的には各酒蔵独自の道を目指します。

よく、こういう会話がなされます。
蔵A「うちはこうやってやるんです」
蔵B「へー。なるほど。」「うちはこうですよ。」
蔵A「へー。そうなんですね。」

どちらかが、正しいということはないので、否定することも肯定することもない。そうやってして蔵の個性が磨かれていくんです。全国どこの蔵を比較しても、全く同じ造り方をしてる酒蔵はありません。

玉乃光が大切にしたい酒造り

日本酒の酒蔵は歴史が古いことが多いです。長い年月を経る中で、お酒の造り方を少しずつ変えながら、設備を整えながら今に至るわけです。土地が広い蔵もあれば、町中にあって狭い蔵もある。寒いところにある蔵もあれば、暑いところにある蔵もある。環境が全然違うんです。

長い年月の中で蔵特有の菌が住み着き、その蔵特有の発酵過程を経るようになる。特に酵母はその蔵特有の酵母を蔵つき酵母といって、その酵母を使っている酒蔵さんもあります。

そうしていくうちに、蔵特有の酒造りの方法が確立していくので、それが個性となっていくのです。正しいとか間違っているとかではない。

玉乃光酒造の酒造りは戦後大きく変化しました。戦時中に禁止されていた純米酒造りの復活に尽力し、それ以降、純米酒にこだわってきました。現在も純米吟醸と純米大吟醸しか作っていません。

玉乃光酒造では、いまでも昔ながらの方法で酒造りを続けています。お米を蒸すのも、麹づくりも、仕込みも。みんな手造り。精米も自分たちでやっています。

もっと効率的な方法はあるのかもしれません。他の酒蔵のように機械を入れたらもっと人手を少なくできます。それでも、やっぱり人の手で造る酒造りが好きなんです。

京伝びとのお酒は、そんな伝統的な方法で、人の手で造るお酒。それが京伝びとが大切にしたいことなんです。

酒造りの先にあるもの

酒造りは、他の製造業とは少し違うと思っています。酒造りとは、もちろん日本酒を製造することなんですが、もっと大きな意味があると思うんですよね。

文化発祥と同じくして生まれた酒造り。ずっとずっと長い年月をかけてやってきた日本の文化なんです。文化とは人の理想を実現するための精神。文化を継続していくことは、きっと日本人の未来にとって必要なことなんだと思います。

酒造りとはもちろん製造業なんですが、それ以前に文化なんです。酒造りの先には日本の未来がある。だから簡単に伝統を崩したらいけないと思うんですよね。

コロナになって、正直しんどい時期が長かったですが、少しでも長く伝統的酒造りを人の手で守り続けていきたいと思います。

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