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人生の物語に寄り添う。誇るべき日本酒文化を再構築する。


日本酒の味は、昔と比べて全体的に美味しくなりました。その種類も多様化しています。若者向けのライトなもの、女性向きのフルーティなもの、昔ながらの飲みごたえのあるもの。

それにも関わらず、それを嘲笑うかのように日本酒を飲む人は減り続けている。日本酒の文化が人から人へ、世代を超えて、継承されていない。


今回は、日本酒文化の再構築についてお話したいと思います。


例えば、演歌って子どもの頃はあまり興味をもたなくても、40歳を越えてくると聴きたくなってきたりする。私もたまに聞くようになってきました。

きっと自分の親世代も、そのまた親世代もそうだったと思うんです。


他にも、ゲームは、ファミリーゲームなどを除いて、基本的に小さい頃にやって、大人になったらやらなくなる人が多いと思います。

でも、次生まれてきた子どもたち世代が、またゲームをする。


このように、世の中に浸透している文化って、年齢に依存して継承されてきています。

ある一定の年齢になると楽しむ文化として、次の世代に引き継がれていくんです。


文化が継承されなかった日本酒

では、日本酒はどうでしょうか?

日本酒全盛期に飲んでいた人たちは、今では80~90代になりました。その人たちにとって、30代〜40代にメインで飲んでいたお酒は日本酒だったんです。

それくらいの年代の人たちは、今でも日本酒を飲んでいるイメージがありますが、じゃあその下の世代はどうでしょうか。

演歌やゲームで挙げたような継承されていく文化であるなら、次の世代の人たちがお酒を飲める年齢になったら当たり前に日本酒を飲むはず。

親が飲んでいる様子を見て、その下の世代に語り継がれていくはず。

しかし、日本酒はそうなりませんでした。


なぜ日本酒の文化は継承されなかったか。

それは、ビールや、ハイボールやいわゆるRTD(Ready to Drink)、そしてワインなどのお酒の存在が大きくなってしまったからです。

本来なら日本酒という文化が引き継がれるタイミングで、そういったお酒が入ってきてしまったことによって、引き継がれず断絶してしまったのです。

今日、日本酒があまり飲まれていないのは、日本酒が美味しくなくなったのではなく、その時代に同じ機能をもった代替勢力に地位を奪われたんです。


そして文化としての地位を消失してしまった。

そして、文化として日本酒が浸透していないから、そもそも興味がいく存在にならず、もうなかなか飲もうとは思わない。


そんな中で、日本酒を広めようと、今の世代に合わせて新しい商品を導入したり、ラベルを可愛くするなどをしたところで、そもそも興味がいく存在ではないので、なかなか浸透していかないんじゃないか、と私は思います。


やはり、残っていく文化として浸透させるためには、世代が継承できなかったところを見つめ直す必要があると思うんです。


日本酒文化を翻訳する

これからの日本酒は好奇心の多い若い女性をメインターゲットにするべきだ、と言われたりしていますが、それだけではうまくいかない。

私は社会で第一線で働いている30代~40代の大人に、日本酒=大人の嗜み、社会に出てからのマナーである、というような文化が広まっていけば、次の世代にも引き継がれるものとして残っていくんじゃないか。

と私は考えています。


30代になったら自然と通る登竜門。


海外の人に日本の文化を語れる大人。
自分の人生と深く向き合える大人。
社会の課題と自分の役割を自覚できる大人。
次の世代に資産を引き継いでいける大人。
人に暖かく、環境に優しい大人。
守るべき文化を守り続ける大人。

日本酒はそんな大人になるためのツールになりうるんではないか。日本酒は他のお酒と比べて、奥深さがあると思うんです。それは日本酒固有の伝統がそうさせるのであり、それが國酒たる所以です。

でもそれが返って日本酒をとっつきにくいものにしてしまっていて、より日本酒離れを加速させていってしまう。だから、私がすべきは文化の翻訳。今の時代にあった言語にしっかり翻訳していかなければならないと思っています。


日本酒は人生の物語に寄り添う


日本酒が他のお酒と違う部分は、味の幅や飲み方の幅の広さ。

甘いものや、きりっとしたもの、他にも冷やした状態で飲んだり、あったかくして飲んだり…。

そんな日本酒は、喜怒哀楽、そして人生の物語と結びつきやすいお酒だと私は思っています。

怒っているときに、がっと呑む。
嬉しいときに、乾杯する。
悲しいときに、しんみり呑む。


そんな喜怒哀楽に寄り添う日本酒は、第一線で働く30代~40代の大人の人生の物語に寄り添う。大人の嗜みになっていけるんじゃないか、と思うのです。

そういった価値観が生まれれば、日本の大切な文化としての日本酒が再度浸透していくかもしれない。


実際に、日本酒を人生に寄り添うものとして捉えている人たちが今もいると思います。

そして、そういったものを求めている人もきっといるはず。そういう人たちが日本酒の良さをしっかり理解できるように翻訳する。

日本酒が苦手な人にあえて合わせて飲みやすいお酒を作っていくというよりは、人生の物語に寄り添える日本酒らしさを活かしながら文化として広げていけば自ずとずっと飲み続けられるお酒になっていく、と思うのです。


とはいえ、文化を作り直して、浸透させるのは、とても時間がかかること。

多くの人たちと力を合わせ、じっくりと時間をかけながら、継承されていく文化としての日本酒を作っていけたらと思います。

日本酒文化を再構築するために、必要なこと。
それは、日本酒文化の翻訳。
人生の物語としての日本酒であること。
他の業界にいた私だからできる大仕事だと思って、頑張ります。

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