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簡易パーティーの登山事故時の法的責任

山が好きです。
ここ2年くらいはコロナの関係もあり、日帰り登山となっていますが、その前は、積雪期を除き、テント泊中心の山行を楽しんでいました。
仕事の関係もあり、単独行が多いことから、山中で同じようなソロ登山者から声を掛けられることがあります。
休憩時、あるいは通りすがりに話をするのは楽しいのですが、同行しそうになると、ペースを速めたり、止まったりして、同行しないようにしています。
これは、20年ほど前の経験から来るものです。

その当時、裏銀座ルートといわれる高瀬ダムからブナ立尾根を登り、野口五郎~水晶~鷲羽~双六~槍へと向かうルートが気に入っており、毎年少なくとも一度はソロで行っていました。休日の関係で、双六から新穂高温泉へと下山したり、笠ヶ岳へ向かうこともありました。

その年も、当時走っていた新宿からの夜行電車で早朝に信濃大町駅に降り立ち、乗り合いでタクシーを使って高瀬ダムへと向かったのですが、そのタクシーの中で、運転手から、前日に高瀬ダムからブナ立て尾根の取りつきへと向かう途中の丸太橋が大雨のため流され、使えないということを聞きました(数年前にも流された場所だと思います。)。

やむを得ず、ルートを変更して、高瀬ダムから湯股へと向かい、竹村新道を登って幕営地として予定していた野口五郎小屋へと向かうこととしました。
現在は、野口五郎小屋ではテントを張ることは出来ませんが、当時は張ることが出来、日程の関係もあり、初日は野口五郎にテントを張るのを通例としていました。

その日も天候は悪く、歩き始めは雨は降っていないものの、いつ降り出してもおかしくないような天気でした。
竹村新道を登り始めると、次第に天候は崩れはじめ小雨となり、視界も悪くなっていきました。

竹村新道を使ったのはその時が初めてだったので、正確なところは分かりませんが、南真砂岳手前辺りで先行するソロの登山者が視界に入ってきました。
南真砂岳近くだと思うのですが、登山道が右手に曲がる地点で、左手の眺望地と思われる場所へと入っていく脇道があり、視界もないことから、私はそちらへ入っていってしまいました。
しかし、ほんの数メートル入ったところで、どうもおかしいと気づき、登山道を確かめるためザックから地図を取り出そうとしたところ、先行していたと思っていたソロの登山者が、「こんなところで道に迷ったら死んでしまう」と言いながら近づいてきました。
その方は、「こちらにも道のようなものがある。」とも言っていましたので、分岐点に戻ったところ、右へと曲がっていく登山道が正しい竹村新道であることが分かりました。

私が先行すると、その方が離れずに付いてきたことから、何となく即席パーティーのようになってしまいました。
しかし、真砂岳手前の分岐点手前の岩場まで来たところで、その方は座り込んでしまいました。その時は風雨が相当強くなり、視界もなかったことから、私は、一度ザックを下ろし、登山道を確かめようとしました。そうしたところ、その方は、パニック状態になりかけ、「ここで道に迷ったら死んでしまう」と言いだしました。
私は何とか落ち着かせ、登山道を確認した上で、その方を立たせ、分岐から稜線を野口五郎小屋へと一緒に向かいました。
しかし、大変風雨が強く、風に持っていかれそうな体をストックで支えるようにして稜線を進むような状況であったため、その方を気遣う余裕もなくなっていきました。しかし、なんとか風の弱くなる地点までたどりつき、小屋へ到着することはできました。

その方は、20歳代の方で体力もあったため、無事に小屋までたどりつけたのですが、もし、体力のない方であったら、真砂岳の分岐の辺りで動けなくなっていたのかもしれません。
一方、同行し始めた南真砂岳付近と思われる地点で、一緒に行かなければ、その方もあきらめて下山したのかもしれません。二人になったことで気を取り直して登り続けたのかもしれません。

当時、私は弁護士ではなく、一般の会社員であったため、法律上の責任について考えたわけではありませんが、やはり、危険だと思い、その時から知らない方と同行するのを極力回避するようになりました。
しかし、その後も、双六岳から黒部五郎を経て折立の登山口から富山駅まで同行されたり、晩秋の日光白根山で雪が降り始めた時に、「これくらい大丈夫だよね、一緒に行こう。」と声をかけてきた初老の軽装の登山者に強引にパーティーを組まれたことなどがあります。
特に後者では、多少の危険を感じたこともあり、それを機に、簡易パーティーとなりそうなときには、明確に拒絶のサインを出すようにしています。
それは、私自身、いざとなった時に、同行者を救助するほどの知識・技術を持ち合わせていないからです。

近時では、SNS上で同行者を募って面識のない方同士の山行を楽しまれている方もいると聞きます。
数年前には、奥多摩の三頭山での即席パーティーの遭難事故が大きく報道されたことがあります。
このような、即席パーティーで事故が発生し、死傷者が発生した場合、同行者に法的責任は生じるのでしょうか。

この点に関しましては、登山が自己責任といわれている理由と関係してくると私は考えています。
かつて、木曽駒ケ岳で高専の登山部の雪崩事故が発生しました。
結果として、部員の複数の学生と引率者のサポートメンバーとして同行していたOB1名が亡くなっています。
その後、亡くなった方の親たちが高専の設置者である地方公共団体に対して国家賠償法上の損害賠償請求訴訟を2組に分かれて提起しています。
その裁判では、学生に対してのみならず、同行していたOBに関しても、過失相殺による減額はされたものの、損害賠償請求が認められています。

判決では、OBについても、引率者である教員の指揮のもとにあったことを損害賠償請求を認容する理由として挙げてます。
これは、結局のところ、OBもパーティーの決定に従わざるを得ない状況にあり、自己決定権が制限されていたことを理由としているものと考えられます。
登山が「自己責任」といわれるのは、山へ行くか行かないか、下山するかしないか、どのルートを選択するか等を自己決定していることから、結果の責任も自分で負うこととなり、事故にあっても、周囲の人に対して責任を問うことは出来ないからだと思います。

高専のOBは、事故当時、下山するか停滞するか、どの下山ルートを選択するかを自己決定できなかったことから、パーティーのリーダーとしてそれらを決定した教員に、OBとの関係でも責任があると判断されたのだと思われます。
この裁判に関してましては、事務所のホームページの下記のブログ記事でも扱っております。ご興味をお持ちの方は、ご覧いただければ幸いです。

一般的な簡易パーティーではこの趣旨は当てはまらないと思われますが、リーダーが明確に決まっており、実質的にもリーダーとして行動をしていたような場合、具体的事情によっては、絶対に当てはまらないとは言い切れないように思われます。

これらの点につきましては、事務所のHP上の複数のブログで触れていますので、興味のある方は、ご覧ください。

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