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お手伝い

 先日、テレビを見ていたらイタリアの田舎に住むおじいさんが亡き母親の写真を抱えてテレビのインタビューに答えた。
「ママはいつも僕にお手伝いをさせてくれた。まだ小さかった僕ができる仕事なんて何もないけれど、玄関の前を掃いたりお花の水を変えたりしかできないけれど、ママが僕を頼ってくれたのは本当に嬉しかった。」
 もう70を超えるおじいさんが昔を思い出した時に、お手伝いが幸せな記憶となっているなんて想像もしなかった私は軽く衝撃を覚えた。そういえば私は何かを頼まれたことがあっただろうか。


 不思議なことに、子どもの頃はきっと何を頼まれても幸せなのだ。年を重ねて妙齢になっても、親に頼まれてしまうと嫌と言えずに骨身を惜しまずにしてしまうことが多々ある。
 万能であるようにさえ見える親が頼ってくれることの嬉しさは、誰かの役に立てている喜びだと思う。一番初めに体験する「家族」という社会の中で、少しでも自分が役に立つと分かることは嬉しいことだ。


 そういえば、先日、姪と電話で話した時のこと。その日は家族で釣りに行き、30匹も釣ってきたと嬉しそうに話す。その魚はどうするのかと尋ねたら、義姉と妹がさばき、兄が調理をするけど、「私の出番はないの」と少し寂しそうに答えた。
 兄の家は兄がサラリーマン主夫をしている。一人で料理洗濯掃除の全てをこなしているが、もちろん手が回るわけもなく、目を回し、あちこちにキレまくって生活している。一番上の娘はもう小学校中学年なのだから、少しはお手伝いをさせればいいのだ。だけど、きっと兄もお手伝いをしたことがないから「任せる」ということがわからないのだろう。


 「お手伝いなんて自分で見つけてするものだ」というかもしれないが、手伝おうとするたびに「あっちにいってなさい」と言われれば、何をしたらいいのか分からず、ただ遠くから見ているしかなくなるものだ。そうやって育つと、ついつい子どもに任せるということができなるのかもしれない。
 ドラマ『ドラゴン桜』でもお手伝いを推奨していたほどだ。当たり前と思わずにもっと声を大にしてお手伝いを推奨していきたい。

#お手伝い #親子 #子育て

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