さすらいのノマドウォーカー

さすらいのノマドウォーカー③

好きな言葉は平常心、通常営業、いつも通り。

そんな自分の食指を動かしたのはドーナツ屋。

お菓子を食事の変わりにしてはいけませんという両親の教育は、社会人になって一人暮らしを始めても如何なく効力を発揮している。

食生活の欧米化が進んだ昨今でも常識から大きく外れないが、たまにならいいんじゃない?というくらいには戒めは緩んでいる。

とはいえ。

いつから日本人はこんなにドーナツ好きになったのか。

ドーナツ専門店がそこかしこの街にでき、庶民の憩いの場になったのはまだしも、ドーナツを売りにするコンビニまででてきた。しかも我も我もと便乗し、定番となりつつある。

現代人は真夜中や早朝に、発作的にドーナツを食したくなったりするのだろうか。買い物のついでに、ドーナツでも買っとくか、となるのだろうか。

不思議でならない。

要、経過観察。

母の教えに背いているのではという軽い罪悪感を振り落して自動ドアをくぐると、甘い匂いが出迎えた。どちらかというと辛党だが、この匂いには食欲を増幅する得も言われぬ力があった。

甘い誘惑をいったん退けて席の確保を優先する。

人知れず口角が上がるのをとめることができない。

なぜって選び放題なのだ。なんていい店だ。

全部、壁に背を向けられるように作られている。

うなぎの寝床のように縦に長い店内は入って左側にドーナツが陳列され、その先がレジカウンターになっている。右側は手前からお行儀よく2人用席が並んでおり、テーブルをくっつけることで3人以上のグループに対応できるようになっていた。

小さな幸せをかみしめる。この店はいい店だ。

背後と右側が壁面になる一番奥の席も捨てがたいが、レジの真ん前なので落ち着かないだろう、左側がガラス窓の最も入口に近いテーブルに陣取った。

さてと。

記憶を探ると、思い出せる限り、最後にドーナツと称されるものを食べたのは友人の誕生日会であるから、小学生以来となる。自分でも驚くが祖父母と同居していたせいもあり、おやつは和菓子中心で水ようかんや最中。その他は果物が多かったか。

回想しながらショーケースへと向かう。

う。でかい…

想像していたよりもはるかに大きい。同世代と比較して食事量の少ない自分には、みただけで胃もたれしそうな、巨大な小麦粉の塊だ。

原材料の価格高騰により、ますます高くなる惣菜パンより安い金額でこのボリューム。

なるべく小さいのを選ぼうとためすがめすするが…

摩訶不思議。どっしりと食べごたえのありそうなドーナツより、小さくてスカスカのドーナツのほうがカロリーが高いだと?

数十円であるが値段も高い。

胃袋に自信がないがカロリーが足りないとエネルギー不足で稼働力が落ちる。効率良く栄養も摂取したいところだが、バランスのよさはとりあえず我慢しよう。胸やけせずにすむのはどちらか…沈思黙考の末、すかすかドーナツにきめると、潰してしまわないようにそっとトングで掴んでプラスチックのトレイにおく。これも違和感がある。清潔なのだろうがお盆に直接のせるのはお行儀が悪いと思ってしまう。しかしショーケースの手前にはトレイとトングしかなく、前の客もトレイにおいていたのでこれがルールなのだろう。

会計を待つ間、陳列されたドーナツ達の全貌を眺める。

もっとアメリカンな色彩を想像していた。原色や蛍光色のチョコレートやスプレーがかかっており色の洪水のようなイメージだったが、ここに並んでいるドーナツは、ミルクチョコレートからホワイトチョコレート、抹茶やイチゴミルクと目に優しい色合いばかりだ。日本人好みにカスタマイズされているのだな。食べ比べをしてみたい。かじるのが一口でいいという条件つきで。

「ご一緒にお飲み物はいかがですかー?」

日に何回口述するのだろうか。よどみなく唱える店員にホットのカフェオレを注文する。

そう、実はこれが最大のお目当てだった。

ホットコーヒーのお替りが自由な飲食店はいくつかあるが、カフェオレはここだけなのだ。

長い時間をかけて選んだドーナツはシンプルな白いお皿にのせられ、先ほどとは色の違うトレイに、カフェオレのカップと一緒に置かれた。

先ほどの違和感の正体に気が付いた。パン屋と同じシステムなのに、トレイにドーナツを直接のせることに抵抗感があったのは、席を選ぶ際に目に入った他の客のドーナツが、お皿にのっていたからだったのか。

心に刺さっていた小さなとげもぬかれ、ホクホクしながら窓際の席へもどった。猫舌なのでしばしガラスの向こうの耳がピンとたった小型犬を観察する。ミニピンかな。入口に留められた自転車に繋がれているので、休憩中のご主人を待っているのだろう。

大人しくていいこだ。

オトナシクテイイコデスネ。

むかしよくいわれたな。褒め言葉でないこともあると気づいたのはいつだったか。ほろ苦い思い出は、大好きなカフェオレの苦さで塗り替えよう。

早速カフェオレに口をつける。

…作り置き、かな。

香ばしいというより焦げの苦味を感じる。もう少しミルクが多いと嬉しいのだが…。

きっと甘い甘いドーナツとベストマッチなブレンドに違いない。

好みとは程遠いけど…

ほろ苦さが塗り替えられた。

…これでいい、の、かも。

「カフェオレのおかわりはいかがですかー?」

「へ?」

右手にポット。左手にスティックシュガー、ポーションミルク、マドラーが収まっているギンガムチェックのカゴをさげた店員が笑顔を張り付けて立っていた。

まだ持ち手を人差し指にからめたままだったカップを見下ろす。まだたっぷり残っている。当然だ。まだ一口しか飲んでいないのだから。

「…まだ…いいです」

ヘドモドしながらお断りすると「ごゆっくりどうぞー」にこやかに次のテーブルにうつっていった。

座って5分も経っていないのにもうお替りがきた…。

1杯目はぐいっと飲み干してすぐに2敗目をもらうのがマナーなのか?

何はともあれ、ガソリンを注入しよう。文字と格闘する前に腹ごしらえが必要だ。スカスカな見た目を裏切らず、持ち上げても軽いドーナツを恐る恐るかじりとる。優しい甘さが舌に広がり、さほど噛まないうちに喉を通っていった。

うむ。いける。

軽い食感と嬉しい裏切りに舌鼓をうっていると、またカフェオレのおかわりがきた。先ほどとは違う店員だ。

もう苦笑するしかない。

君たち、仕事で重要なのは「ほうれんそう」だよ。報告・連絡・相談だ。

しかしこちらも不親切だった。これからは「おかわりいりません」の札でもたたておこう。

心の中でここまで唱えたあと、「まだ大丈夫です」だけ、声帯を使った。

キッチンとレジカウンターという店員が常駐する場所からまったく見えない位置に座った自分の選択と時間帯が悪かったと諦める。

子供連れが続々と入店した。これ以後は対応に追われ、店の隅っこに居座る存在感のない客にかまう暇はなくなるだろう。

店内が慌ただしくなったその後は放置してくれたので、邪魔されることなく一仕事終わらせることができた。

ピークを超え、店員の手が空いたのか1時間ぶりにおかわりの巡回がきた。一息つきたかったのでお願いした。まだ底に1cmほど飲み残しがあることに頼んだ後に気が付いたが、店員は躊躇なく熱々のカフェオレを注いだ。

え?

カップは取り換えてくれないのは享受するとして、冷え切って酸化したものを新しいので希釈するはいただけない。

「お砂糖とミルクはいかがですか」

ミルク…。

カフェオレに植物性油のポーションミルクを勧めるか。

コーヒーの時の定型文と間違ったのだろうと推測できるが、カフェオレにポーションミルクをいれてまろやかさを調節した結果、さらにひどくなった風味を想像して気持ちが悪くなった。

喉が渇いていたのでカフェオレを口に含むが、案の定ぬるくて苦くて…

切ない。

マニュアル通りに行動するだけで気を回さないが、「おかわり自由」のコスパを考えたらそれくらいで丁度いいのかもしれない。

はたして、数分後には違う店員が巡回サービスにきた。

疲れる。

相手の好意を断り続けるのって疲れる。たとえ機械的に声をかけているだけの巡回サービスだとしても。

このまま残すのはもったいないと感じる自分もいるので、砂糖だけ頼んだ。

甘みでごまかして飲みきるために。

かき混ぜてから、溶けないのではと思い当った。

ガムシロップはカゴに入ってなかったよなあ。

半分ほどでギブアップした。

向かい建物と建物の隙間にほんの少し覗いている空が暗い。

あ。布団!

窓際の席にした理由のひとつが空模様を観察するためだった。

雨が降り出す前に帰れるか。

半分残した理由を雨のせいにして、そそくさと店をでる。

ドーナツは美味しかった。ドーナツ専門店だから当たり前か。

次は飲み物をコールドにすればいい。

そう心に決めて家路を急いだ。


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