さすらいのノマドウォーカー

さすらいのノマドウォーカー⑧

「単品よりポテトをセットしたほうがお得ですよ」

フライドポテトは嫌いじゃない。いやどちらかというと好きだ。好物といっても過言ではない。しかし如何せん食べきれない。逡巡していると商売上手なおばちゃんは「ランチセットなんで単品より安いですよ」と畳みかけてくる。

断る理由が見つからない。とっさに浮かんだ言い訳は「じゃがいも農家さんが悲しむから」だけど、いい大人はそんなことを言わないと即座に打ち消す。おばちゃんはドン引きしながらもオーダーを通してくれるだろうけど。

「じゃあ、それで」

営業トークが成功したおばちゃんは満面の笑みを浮かべて、人差し指でレジのボタンをひとつだけおす。

「お飲み物はいかがなさいますか」

「カフェ…いや、烏龍茶で」

いつもの癖でカフェオレを頼もうとしてしまったが、胃もたれ対策として油の吸収を抑える効果があるとされている烏龍茶にした。至福のドリンクは次の店でゆっくりといただこう。ここで長居するならそれでもいい。胃が落ち着いた頃にまた買いにくればいい。

「650円です」

安いな。セットの金額を確かめていないが、単品より200円以上安い。驚きながらもキャッシュトレイに650円ぴったりの小銭を並べで財布をしまいかける。

「あの?お客様?850円です」

「え?650円て言わなかった?」

「いえ、850円です」

「……」

確かに650円と言われたような記憶があるが、ろっぴゃくとはっぴゃく…。を聞き間違えたのだろう。おとなしく財布から100円玉2つをとりだす。

「ちょうどお預かりいたします。レシートのお返しです。出来上がりましたらお席までお持ちしますので、こちらの番号札を見えるように置いてお待ちください」

流れるような動作と口調で会計作業を済ませたおばちゃんとは真逆に、もたもたと必要以上の時間をつかってレシートをジーンズのポケットにつっこむ。実はその間にハンバーガーと烏龍茶の単品の値段を確認していたのだ。ことさらゆっくりとラミネート加工された13番の札がが針金にくっついただけの番号札を握ると、飲食スペースのある2階へあがった。

急に動作が遅くなった客に気づいたであろう調理担当がオープンキッチンから身を乗り出し、会計のおばちゃんに耳打ちしたのを横目でみた。「え?」と心底驚いたような声をあげたおばちゃん。先ほどのシーンを脳内再生すると、調理担当さんの体型に見合うテノールで「ろっぴゃくっていってたよ」とアテレコした。効果は絶大で、ざわついていた心を鎮めることに成功した。

ときおり大きな笑い声をあげる男性2人組みを避けて、背中だけ壁になっているテーブルに番号札を置いた。笑い声に我慢すれば左手側も壁の席に座ることもできたが、これ以上贅沢は言うまい。このハンバーガー屋で食事することがすでに贅沢だ。超絶バーガーなるものが550円、烏龍茶310円で単品の合計860円。ポテト付のセットが850円。

うむ。10円安い。210円も安い時点でおかしいと気付け、自分。

いや、気付いた。聞き間違いとまでは思考が行き届かなかっただけだ。

恥をかきたくなければ考えろ、神経をはりめぐらせて事にあたれ…

反芻していると超絶バーガーポテトドリンクセットがサーブされた。

うむ。超絶。納得。

とある県を代表する高級牛肉をミンチにしたパテは、濃厚なグレービーソースが肉の旨味を引き出して超絶美味しい。はしたないが大口をあけてかぶりつき、ものの3分で平らげてしまった。

うーむ。超絶。

味も超絶だが、ボリュームも超絶。

味の余韻に浸っている間に、貧弱な胃袋が悲鳴をあげる。胃袋の訴えに耳をかすと悲惨なことになるのは目に見えているので、仕事をして紛らわしたいがお腹周りが苦しくて、字が追えない。

仕方ないので、とりとめもなく思考を散らかす。

平日のお昼時にファーストフード店で食事をしながら、仕事をするなんてつい最近までは考えもしなかった。

母が倒れて、シェアハウスを手伝うようになるまでは。

厳しい寒さが緩み始め、そろそろ桜がなどと気の早い同僚達がお花見の予定を立てはじめた頃だった。前日より7度も気温が下がり、クリーニングに出すために掛けておいたダウンジャケットをスーツの上から着こんでいた時に、その知らせはきた。

仙道と名乗る女性が話す内容は要領を得ず、何度も聞き返す羽目になったが、どうやら母が倒れて病院に運ばれたと伝えたいらしい。あの快活な母が?と新手の振り込み詐欺を疑ったが、ディスプレイに表示された電話番号は母の家の固定電話のそれだ。道すがら姉に連絡を取ると、訝りながらもすでに病院に向かっているらしい。真相を確認してからでも遅くないからと言ってくれた姉に、午前中に外せない会議が入っているのでと素直に甘えた。

外せないが大して実りもない会議を終えると、留守番電話に母の病状が残されていた。

くも膜下出血。

意識不明の重体。

脳の血管が破れて出血する病気。発症は突然で激しい頭痛に襲われ、半数以上は意識を失い昏睡状態に陥る。約4割は死亡、助かっても重大な後遺症がでる人は約3割、社会復帰できる人は、約3割といわれる。

そんな知識は後から調べたことで、その日は上司に早退の申し出るや否や母が搬送された大学病院へと急いだ。

点滴のチューブが伸び、酸素マスクが顔の半分を覆い隠す母より、青ざめた姉のほうが病人にように見えた。

その日は一日中病室の前に座っていた。医者が何といったか、姉と何か話したか、何か食べたのか、全然覚えていない。

憔悴しながらも交替で病院に詰める相談をする2人に、現実的な問題をつきつけてきたのは、仙道さんだった。

あれは何日目のことだったか。仙道さんは「シェアハウスの現状を訴えにきた」らしい。押しかけ店子の仙道さんは、中年女性のずる賢さと図々しさを発揮して、初対面の自分にもあれこれと指図した。

母が倒れた日、病院まで付き添ってくれた仙道さんは、姉が到着すると帰宅したので、会ったことがなかったのだ。

共有部分にホコリがたまってきたから掃除しろ。

共有冷蔵庫の整理する日が過ぎた。

ゴミを回収場所に出せ。

どれもこれもてめえらで何とかしろと罵倒が喉まで出かかったが、姉に制されたので我慢した。ゴミの問題については姉も気にかかっていたらしい。子供2人と旦那の世話をし、病院に通いながらシェアハウスにまで考えが及ぶなんて、やっぱり姉にはかなわない。

資源ゴミに分別が煩雑だからと「母が甘やかした結果」、住民は誰もゴミの分け方がわからないらしい。そろそろ気温があがり暖かくなる季節。臭いも心配だ。

母の容体は小康状態が続いている。急変があったら知らせるとの約束を病院側ととりつけてから3人で母の家に向かった。

以前に同居していた姉はゴミの分別方法を知っているらしい。当時と変わっていないことをスマホで確認すると、回収日まで一時保管しているゴミ置き場で分別を開始した。腐りかけた野菜に辟易しながら、ゴム手袋で防護した手を動かす。ビンと生ごみを一緒に捨てるなんて、甘やかしたどころの話じゃないだろと悪態を吐かずにはやってらない。

もちろん仙道さんは手伝ってくれない。「わたしも店子だから」だそうだが、後で家賃なんか1銭も払っていないことを知る。光熱費だって母持ちなんだから店子なんてもんじゃない。ただの居候だ。

まあ、それは置いておいて。

黙々とサランラップの刃を剥がし、飲み残しのペットボトルのお茶を捨てていた姉は、今後のこともきっちりと画策していた。100円均一ショップで画用紙とゴミ箱を買ってこさせると、リビングにゴミ箱を設置して何事かと集まってきていた店子達に「これからは画用紙に書かれている通りにゴミを捨てること」と申し渡した。

不満げに「ゴミの分別も契約条件じゃん」と文句をいう大学生らしき青年に、嫣然と微笑んでみせると「もちろん最終的にはこちらで確認しますよ。でも書いてある通りに捨てることはできますよね」と一歩も譲らない姿勢を見せた。

己が男性にどう思われるかをよくわかっていらっしゃる。疲労で目の下に隈を拵えていても姉の美貌にとっては毛ほどの遜色もない。逆に「いまこっちは大変なんだよ」という脅しに使っていらっしゃる。女王様に従わない輩などいるわけないでしょう。

はあ。

我が姉ながら恐ろしい。

火、木、土が燃えるゴミ。月曜日が各種資源ゴミ。第2水と第4水曜日が不燃ごみ。ゴミの回収がない日はほとんどない。

週末が自分の担当だ。金曜日に仕事を終えると母の家に帰ってくる。ゴミの分別を確認して土曜日の朝に出す。日曜に資源ゴミが正しく分けられているか確認して、月曜の朝早く出して出勤する。始発で出れば間に合わないことはない。姉が土曜か月曜だけ変わってくれることもある。そういう日はシェアハウス内を丁寧に掃除をして、ゆっくり母を見舞う。

そんな暮らしがもう1か月も続いている。依然として母の意識は戻らない。

主婦は休みがない。姉の負担のほうが大きいのでは危惧していると、ママに構ってもらえなくなった寂しさからか姪っ子、上の子が幼稚園にいかないとぐずるようになった。登園拒否ってのか?毎朝嫁がいないのがずっと不満だった旦那はかここぞとばかりに攻勢をかけてきた。旦那は子煩悩で子育てはそれなりに手伝ってくれるそうだが、嫁の実家については知らんぷり。シェアハウスを手伝う人間はもうひとりいるじゃないか、と。

うん。いるね。

それって自分のことだよね。

と、いうわけで可燃ごみは土曜にまとめてだすことにして、月に2度しかない不燃ごみの水曜日、たまりにたまった有給休暇を消費することになったわけだ。

事情を話すと物分りのいい上司はあっさり承諾した。

この一見優雅なひとときは、こうしてなりたっている。

有給中だからといって仕事から離れきれない社畜は、メールチェックを怠らないが、大した時間をとられるわけでもない。

超絶バーガーもこなれ、最低限の仕事も終えた。放課後の学生達で店内も騒がしくなったので場所をかえよう。

じゃがいも農家さん、ごめんなさい。

ダストボックスに向かって、声にださずに謝ると店の喧噪を後にした。


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