さすらい2

さすらいのノマドウォーカー 31話

「良い報告が2つ、悪い報告が1つありますが、どんな順番で聞きたいですか」

などと芝居じみた切り出し方をあれこれ考えていたが、部長独言に一気に冷めた。昨日の、浮かれ調子のまま報告したりせずに、本当によかった。

部長は「引き抜き…まさか乗っ取りか?」とつぶやいたのだ。地声が大きい人ではあるが、独り言にしてはわざと聞かせたのではと勘ぐれるほどの音量だった。

ABC商事は総合商社であるからして、需要が見込めるのであれば、現在わが社が手掛けている事業に参入してもおかしくない。

良い関係を築いてきた信頼から第二支店の案件は携わらせてくれるようだが、それがノウハウを盗むための策略だとは言い切れない。

間借りという単語に引き釣らていたが、取引先にデスクを構える理由として真っ先にたどり着くのは、トラブルがあった際の監視であり、解決するまでの人質なのではないだろうか。

どうやら自分は阿藤さんに気に入られているようだが、彼とて組織の一員。幹部が決定したことには従わざる負えないだろう。

「間借りの申し出は請けよう。この状況で断っては、かどが立つ。だが、第二支店の件が片付くまでだ。新事務所は1ヶ月以内に決めてくれ。多少の条件は譲歩する」

1ヶ月というのがベストな期間だろう。ABC商事に居を構えたが、条件にあった事務所がみつかりました。利便性も鑑みて綿密な打ち合わせが必要な初期段階ではお借りしますが、他社の仕事は新事務所で営みますよというわけだ。実際には他社の仕事は一切ないのだけれども。

「仕事が増える。物件探しや他社への営業にいくのに、留守番もいるだろう。誰を連れて行く?」

留守番のイメージに吊られたのか、後輩の顔が浮かんだ。獣耳としっぽをふりふりさせながら飼い主を迎え出るワンコに、高橋が重なる。

先日、久しぶりに話した時、現プロジェクトリーダー増田と合わない、新事務所に読んでくれと嘆願されていたっけ。

「高橋はどうでしょうか」

「高橋か。人選として悪くないが確か新プロジェクトのメンバーになったばかりじゃないか」

昨日の今日でもあり、浮ついていたので人員を増やすことまで気が回らなかった。とっさに高橋を推薦する理由が思いつかない。増田と折り合いが悪いとの報告は部長まで上がっていないようだ。

逡巡しているうちに、部長は内線で増田を呼び出してしまった。

運よく増田は在席していたようで、5分と立たずにやってきた。

彼にとっては運が悪かったようだ。足取りは重く、宣告を待つ死刑囚のように青ざめている。

部長が経緯を簡潔に説明している間、増田はずっと怯えていた。

「それで、本人の意向はまだ聞いていないだが、駐在員として高橋くんを貸してほしい」

部長の言い終わっても増田はしばらく無言だった。先に続く台詞を想像しているのか小刻みに震えている。

「増田くん?どうした。具合でも悪いのか」

純粋に心配する部長に、ようやく他意はないとわかったのか、問いかけるような視線をよこす。

肯定の意味でうなずいてやると、心を落ち着かせる時間を与えるために、もう一度、経緯を説明した。高橋をかりるためにプロジェクトリーダーの増田を呼んだのだということを強調しながら。

「承知しました」

増田はそれだけ言うと、部長が体調を気遣う言葉にも無愛想な返事だけかえし、会議室を後にした。ドアの閉め際にギロリと自分を睨みつけることは忘れずに。

ぐっ…

イタチの最後っ屁…。

自分も食らいましたよ、阿藤さん…。

その後は、第二支店のプランや細かな方針の打ち合わせをして辞した。

帰り際に「増田くんと何かあったのか」と聞かれたので、迷った末に「彼はABC商事出禁です」とだけ伝えた。

ちえっ。黙っているつもりだったのに。

思いの外、最後っ屁のダメージが大きかった。本物のイタチのそれのように、こびりついていつまでも臭いがとれない。

濯ぐすための告げ口が必要だった。

あーあ。

聖人君子を気取ったわけじゃないが、恩くらい売っておきたかったな。

くさくさする。

美味しいものでも食べに行こう。

高橋も連れていって、ついでに転属も伝えよう。

ワンコの好きな食べ物ってなんだろう。

ここは食通を自負しているワンコに任せるか。

午後も忙しい。

やるべきことは山積みだ。


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