さすらい2

さすらいのノマドウォーカー 30話

「よかった。今日は佐々木ちゃんだ。佐々木ちゃんがきてくれてよかった!」

ABC商事の阿藤さんの開口一番に面食らった。気のいい近所のおじちゃん風の容貌に反し、切れ味鋭い物言いをまぶしてくる担当さんには、たびたび驚かされているのだが。今回に限ってはいつもと少々様子が違う。

「サンプルの件ですよ。増田っていう痩せぎすメガネにもってこさせたでしょう?」

増田さんがきた?どういうことだ?

サンプルとは、傷がつかないよう丁寧にプチプチで梱包され、社名がプリントされた紙袋の中で出番を待ち構えているこれのことか?

メーカーから昨日支店に届いたばかりで、後輩の高橋に本日AM必着でシェアハウスに転送してもらったこれのことか?

「佐々木ちゃんだって、ウチにかかりっきりではないのはわかってますよ。急遽代理人をたてるのも問題ありません。ただね、アポ無しきたばかりか、ずかすか事務所にあがりこんで。こちらの都合も鑑みずに、新案とやらをまくし立てるのはいただけません」

あちゃあ…

増田さんは、大きな顧客であるABC商事つきで営業署をかまえることに難色を示していた。もともと年下の女性と対等に扱われることをこころよく思っていなかったが、最近はとみに、事務所ひとつ満足にきめられない自分を見下す言動が露骨になった。

「おまけにやんわりとお断りしたら後の態度といったら!この良さを理解せず、元の案に固執するなぞお金を溝に捨てるようなものですよときたもんだ。営業トークの一環だとしても、腹にすえかねるってものじゃありません。それはとっくに昔に却下した案ですよと、突き返してやりましたけどね」

ここまであけっぴろげに罵る阿藤さんは初めてだ。よっぽど、だったのだろう。

「社内で行き違いがあったようで…。申し訳ございません」

しかし増田さんも困ったもんだ。強硬策に出たはいいが完全に裏目に出ている。

「おまけにイタチの最後っ屁みたいに佐々木ちゃんと僕の仲を疑うような台詞まで残して…」

それはまたなんともはや…。

「人間性を疑われても仕方ないですね。そりゃね。僕だって痩せぎすイタチよりカワイコちゃんのほうがいいに決まってます。そして佐々木ちゃんはまったくもって僕のタイプじゃありません」

左様でございますか…。

「僕がねえ。佐々木ちゃんとお仕事をしたいのは、ちゃんとした理由があります」

ふふんと鼻の穴を膨らませる阿藤さん。拝聴しなければならない流れだ。

「…教えていただいてもよろしいですか」

「よろしいですよ。佐々木ちゃんはね、特別仕事が速いわけじゃないし愛想がいいわけでもない、気のきいた会話ができるわけでもありません」

のっけから…駄目だしですか…

「でも僕たちのこと、とても真摯に考えてくれてるでしょう?」

「はあ」

「僕たちの要望を踏まえた上で、自社の利益を損なわない程度に譲歩し、必要と感じれば僕たちには考えもつかなかったオプションまで用意して、状況が変化すれば相談にのってくれ、都度、細かな修正に応じてくれます」

そりゃそうだ…

「長くお付き合いしていくには、とても大切なことです。その場限りの利益に走らず、顧客の無理難題を安請け合いして会社を危うくしない」

それってあたりまえのことでは?

「もちろん商売ですから綺麗ごとばかりじゃありませんよ。時には横紙破りに近いことをせざるおえない場合もあります。ですけれども、こちらだって頼りにしていた相手が倒れてしまったら困るわけですから、お互いの最適値をさぐりあいながら仕事を進める、なんてこともあるでしょう」

「佐々木ちゃんは、それができる人です。だから僕はあなたと仕事がしたい」

そういうことです。ですから金輪際、痩せぎすメガネをABC商事の敷居を跨がせないでくださいね。…これが僕の横紙破りです。あはははは

褒め称えつつ、ついでのように要求を通す材料にした阿藤さんは、快活に笑い飛ばすと、さあ本題に入りましょうとワイシャツの袖を腕まくりして、商談へと切り替えた。

小一時間ばかりの打ち合わせの後、会議室の備え付けのコーヒーメーカーから落としたばかりの1杯を手ずからふるまってくれた。

芳しいコーヒーの馥郁たる香りを思いっきり吸い込む。ここのコーヒーだけはブラックでも飲める。できる営業マンとやらは出されたお茶を飲まないらしい。そんなビジネス本の教えと、厚意を無下にしてはいけませんという祖母の教えで板ばさみになり、さらにミルクを入れないとコーヒーは飲めないという窮地に自分は陥った。そんな駆け出し営業マンに「いいから飲みなさい」とやさしく脅迫した阿藤さん。恐る恐る口をつけた暗褐色の飲物は、すっと喉を通った。不思議で不思議で確かめるように何度も口に含むうちに、いつのまにか飲み干していた。そんな様子をにこにこしながら見つめていた阿藤さんはすごく嬉しそうで、そこからABC商事さんとの密なお付き合いがはじまったんだった。そしてそれが自分の感覚を信じて臨機応変な対応をするようになったきっかけだ。阿藤さんには感謝してもしきれない。いつか美味しいコーヒーの淹れ方を教えてもらおう。

「それでは1週間後にご訪問させていただきます」

「はい。承知いたしまいた。ところで…事務所は決まりましたか?」

う…

「それが…」

火事で契約済みだった事務所が焼失した顛末を打ち明けた。

「そうでしたか。負傷者がいなかったのは不幸中の幸いですね。そして僕たちにとって、ちょうどいい」

ちょうどいい?

「ここからはオフレコでお願いしたいのですが…弊社では事業拡大のため隣の区画に新しく事務所を構えることが決まったのです。自社ビル内では手狭になる可能性が高かったのでね」

「おめでとうございます」

「営業第三課が移るのですがね、僕たちの隣のシマです。そこが空くのです。デスクなどのビジネス用品も一式ありますし、どうでしょう。ここを拠点にしてはいかがでしょうか」

「!!!!」

なんと!

取引先に間借りする。そんな手段もあるのか。

現在抱えている仕事はABC商事から受注したものばかり。加えて事務所探しに奔走し、新規開拓どころではない。

「パーティションで仕切るだけですので、他社のお仕事してるときなどは工夫が必要ですが…」

「おーい。きたよ」

あまりのことにへどもどしていると会議室のドアが開いた。

「お、来客中だったか。これは失礼」

すぐさま出て行こうとするスーツ姿の恰幅の良い、男性をを阿藤さんは呼び止める。

「いいんですいいんです。僕が呼んだんです。入って入って」

「!??」

ああ、例の。はいそうです。と二人の間では通じているようだ。

「佐々木ちゃん、これが三課の課長で、第二支店の支店長になる山本です」

「あ、は、はじめまして。佐々木と申します」

あわてて名詞を取り出す。

「おうわさはかねがね。」

どのような噂でしょうか…恐れ多くて顔をあげられませぬ。

「うちもよろしく頼みますよ」

山本さんは、迫り出した大きなお腹を揺らしながら右手を差し出した。

「???」

なにをよろしくされるのかわからないまま、ソーセージが連なったような手を握る。

「以前、佐々木ちゃんが提案してくれた案ですがね、ちょっとうちじゃあ規模があわなかったんだけど、三課…第二支店ならいけそうだから、企画書をみせたんですよ。そしたらノリ気でね」

「ええ。細部を焼きなおして使わせてもらいたい」

「…は、はい。それはもう喜んで」

急展開すぎる。気のきいた返事もできない。阿藤さんの人物評価が的を射すぎていて、射られた辺りがキリキリと痛い。

山本さんは要望をいくつかポンポンと小気味よく放ると、たわわなお尻を揺らしながら、また来週ねと去って行った。

「さあさあ。これでうちを拠点にする理由が増えましたね?」

阿藤さんは得意げだ。

「う、はい。そ、そうですね」

「人手が足りなくなったら増員しても結構ですよ。デスクは余ってますから。何人でも大歓迎です。…イタチ以外はね」

「上司と相談して、早急にお返事いたします」

とんとん拍子とはこのことか。突然すべてがうまくいくこともあるのだな。

いやまだ第二支店の分は受注したわけではない、気を抜いてはいけない。

増田さんの件も、どう報告したらよいのやら。

明日は出社して部長とミーティングの予定だ。

…午前中だけで終わるかなあ…


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