さすらいのノマドウォーカー

さすらいのノマドウォーカー⑯

GW中の休日出勤は普段は関わらない部署のフォローもせざる負えない。2課のデスクが並ぶエリアへ資料を拝借しに入った。

デスクは使う人の個性が如実に現れる。滅多に踏み入らない隣の部署も、デスクに人柄が投影されていて興味深かった。

OJT教育をした後輩の机には、「成功者になるための○○」だの「仕事が出来る人は○○をやっている」だのの自己啓発本が何冊も積み上げてあった。

ところどころ付箋が張ってあるので勉強しているのだろう。

あまりにも語彙が少なく、四角四面の報告書やメールしかかけなかったので本でも読んだら?と勧めたのをいまだに守っているらしい。フィクションやノンフィクションも含めた広い範囲で「本」と表現したのだが、現在はこの分野に興味があるらしい。

後輩の場合は、周囲への頑張ってますアピールの意味合いが強いのだろうが、自分には考えられない。読んでいる本の題名を堂々と公表するんなんて。

読書傾向、読書経験である程度、その人の好みというか考え方の志向性が読めてしまうというのが持論だ。愛読書数冊ならまだしも読書遍歴なんて絶対に教えたくない。

隠しておきたい内面までもSNSに赤裸々に書き連ねているのと同等の行為だ。吐き出したい、うちあけたい、聞いてもらいたい。そんな気持ちは全くない。否、あるのかもしれないが、羞恥が先に立つ。

本にはカバーをかけるし、お勧め本を尋ねられても無難にベストセラーを答えておく。

鈴木と疎遠になったのも、本を見られたことが原因だった。新人研修中にひょんなことから本の話になり意気投合した。読書傾向はほんの少しかぶっている程度だったが、それがかえって新鮮だった。

学生の頃のように本の貸し借りをしたこともある。

食事がてら読書談義をして多少帰宅時間が遅れるのも、読書時間が短くなってでも、同朋と時間を共にするほうが有益だと思っていた。

同朋だと信じていたのはこちらだけだったのかもしれない。

あれほど何を読んでいるか知られるのは恥ずかしいと伝え、理由も説いた。理解してくれている思っていたのに。

待ち合わせ場所に彼奴が到着するまで読んでいた本を、カバンに仕舞わずにふせたまま、ご不浄にこもった自分が悪いのかもしれない。

戻って読みかけの本を読んでいる鈴木を見たときに、信頼がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

洒落たブックカバーだったから思わず手にとってしまったと言い訳していたが、ひた隠しにする本の題名をのぞいてやろうという気があったのは一目瞭然。

バツの悪そうな顔をしているのが何よりの証拠だ。

語らいたい本だけ題名を明かす自分を、常日頃から揶揄っていたから。

それ以来、事務的な話しかしていない。

「それくらいで?」という意見が大半なのは重々承知している。嫌な理由を伝えていない人間がしたならそれほど怒りは湧き上がらなかったに違いない。

しかし、わかるよと同意した人物から受けた仕打ちだ。冒涜だ。

そんな決別をした同僚から久しぶりの誘いにのってみれば、実家を書庫にしてほしいだと?やすらぎの場を与えてほしいだと?

もう理解不能だ。

また沸々と煮えたぎってきた。

当然こちらの本棚も物色する気でいたんだろう?

書庫にするということは、誰に蔵書をみられても気にしないんだろう?

ただ話を合わせていただけなんだ。

事務所でひとりで仕事をするのは気が楽だと感じていたが、余計なことを考えてしまうから捗らないという結論に達した。

嫌いな奴がいるくらいなら、ひとりがいいけれど。

仙道さんのせいで毎回カフェに逃亡するはめになっているが、自宅で作業できるなら一歩も外にでないのではないか。

満員電車にのらない自由な働き方に憧れもするが、その生活に漬かったらきっと1日中誰とも会わず、ひとことも会話せずに過ごすのだろう。

そしてそれを苦痛に感じない。

それが怖い。

他人からのストレスのさらされない生活は徐々に自己正当化が進み、修正不可能なまでに自己が肥大し、社会不適合者に陥ってしまう自信がある。

適度にストレスを与えられ、堪えるか回避するかにちまちま悩むのが、自分には合っているのかもしれない。

定番になりつつあるカフェオレを保温性の高いタンブラーに入れてもらい、無人の事務所でゆっくり飲む。そんな些細な幸せに浸るくらいの日常が。


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