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【百線一抄】068■長い歴史を見知る短いローカル線―弥彦線

古来から越後国一宮として鎮座する彌彦神社への参詣路線として着
工、弥彦から吉田を経由して東三条へ向かう路線が開通した。この
路線はさらに福島県の只見をめざすべく東方へ針路をとったが、国
による買収とともに越後長沢まで延びていた区間が弥彦線となり、
もとより平野を南北に走る越後線と信越本線を東西方向に結んだ。

ある程度鉄道路線の進展が見えてきた越後平野エリアにおいて、往
来の主軸をなす信越線が内陸側を進むのに対して、日本海沿岸をな
でるように走る路線の建設が越後鉄道によって進められた。列車の
運行は大正初期に始まるものの会社の経営は思わしくなく、相次ぐ
恐慌の影響もあって、他の地域の不採算路線とともに国有化される
ようになった。国有化後も長沢側の利用者は伸び悩み、戦況の悪化
にともない東三条―越後長沢間は休止線となり、レールが消えた。

長沢側の運行再開は戦後ほどなくして実現はしたものの、貨物輸送
が早々に終了となり、道路の整備が進んで利用客の増加にはつなが
らず、高度経済成長期には赤字83線に数えられた。一方で都市化
へ発展が進む吉田側では新幹線の開業に伴い新駅の設置が決まり、
場所が三条市と燕市の境界にあたることから駅名を燕三条とした。

古色蒼然としていた状況から大きな変化が訪れたのは、昭和末期。
非電化区間として新幹線開業後も残っていた弥彦線の電化による電
車化がそれにあたる。距離の短いローカル線ということもあって、
簡易型の電化設備が導入され、現在も同様の設備を引き続き使用す
る。東三条―越後長沢間は非電化のまま1年ほど営業を続けるも利
便のよい路線バスに役割を譲り廃線となる。民営化後は三条市内の
軌道高架化や交通系ICカード導入など、改良が加えられている。

吉田駅から各方面へ向かう電車が新型に揃えられた現在も、弥彦線
は変わらず地域の利用者を運ぶ路線としてそこにある。しかし、年
の数度にわたり催される弥彦神社の行事には県内外から多くの人が
次々と訪れる。日中は2両の短い電車が往来する弥彦駅でも、利用
客が多く訪れる時間帯を中心に増発や増結が行われ大きく賑わう。
開業以来の築百年を超える駅舎も手入れが行き届いており、神社と
並ぶ村のランドマークとして由緒ある土地の来歴を静かに物語る。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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