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旅先見聞録(歴史目線編)

北の大地の入場券86駅全部行ってみたシリーズ。
9本目のトピックは現地で見聞した話題について、
歴史にまつわるものをまとめてみました。

北海道の歴史に目を向けた場合、ざっと3つの観点から
眺めることができます。

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1つはアイヌの文化に注目した場合。
日本史でいう縄文・弥生時代の頃には暮らしていたといわれるアイヌ。
日本の歴史に顔を出すのは室町時代の頃、14~5世紀のあたりです。
本州から和人(日本人)が津軽海峡を越えて交易をするようになり、
戦国時代・安土桃山時代を経て十三湊・松前との交流が盛んとなります。
同じ頃には道南のいくつかの地点にわたった和人が定着し、
17世紀の頃には漁労生活を営むようになったといわれています。

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明治時代になると新政府が本格的な開拓に乗り出し、
「北海道」という地名を新たに付けてから2~30年かけて、
屯田村の設置や開墾、内地からの移住などが拡大することで
現在のようすにかなり近づいたといえそうです。
地名の由来に触れた場合、道南や道央の早期に開拓が進んだ地域では
日本語由来の地名がいくつかある一方で、それ以外の地域では
アイヌ由来の語句が多勢を占めるようになることも興味深いです。

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もう1つは交通網の盛衰の過程に注目した場合。
北海道の鉄道の歴史は比較的早期から始まっているといえます。
日本国内の鉄道史は1872年から始まりますが、北海道では早くも1880年に
小樽港近接の手宮と札幌を結ぶ路線が開業し、次々と炭鉱と港を結ぶ路線が
建設・開業していきます。

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さらに路線は北や東を目指す如く伸びていき、網走には1912年、
根室には1921年、稚内には1922年に到達します。ちなみに南の拠点となる
函館には1902年に到達、1908年には鉄道連絡船が就航しています。

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道内各地の路線や駅で開通120周年を祝う掲示が見られるのも、
このような長い歴史を語る一面と言えますね。

また、2018年は青函トンネルが開業して30周年ということで
多彩なイベントが繰り広げられました。

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現在は新幹線が本州と北海道を結ぶようになりましたが、
物流の面ではまだまだ在来線の力が必要です。
札幌まで新幹線が到達するまであと10年ほど。
その頃の鉄道網はどのようなかたちになっているのでしょうか。

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そしてもう1つは産業に目を向けたものです。
北海道の産業は石炭に代表される鉱産物の採掘と多彩な農産物、
そして各方面の海から水揚げされる海産物が挙げられますが、
これらを加工する製鉄や製材・製紙、食料品工業もありますし、
第3次産業においてはもちろん、観光も重要産業といえます。

特に炭鉱は明治から昭和中期にかけての北海道の発展とは
大きな関わりがあり、前述した鉄道網の盛衰はまさしく
炭鉱の盛衰の歴史にぴったりと重なります。

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三笠鉄道村に掲示されている大正9年(1921年)の地図を見ると、
道央のあたりの路線が群を抜いて発達していることがわかりますが、
これらはいずれも炭鉱と小樽・室蘭といった積出港とを結ぶ路線でした。

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これらの炭鉱はエネルギー転換の流れとともに1960年代から80年代にかけて
閉山となり、多くの地域では人口が大きく減少しました。
それとともに国鉄や私鉄が運営していた路線も廃線となり、
貨物列車が来なくなってからも地域の足として残っていた路線も
80年代から平成初期にかけて姿を消しました。
最近まで残っていた石勝線夕張支線の廃線は記憶に新しいところです。

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これ以外の路線も人口の少ない地域を走るところが多く、
観光客を運ぶ路線として活路を見出すのか、地域の足としての役割を
担い続けるのか、本州とや地域間の物流での存在価値を再評価するのか、
時代の変化だけではなく、未来の在り方についても考える必要があります。

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これは北海道だけの問題ではなく、実は日本国内全体の問題でもあります。
人口減少社会のなかで人が快適に暮らせる社会は、もっともっと色々な
工夫や知恵を働かせ、よいものを追い求めていかなければいけません。

そのヒントは案外、「北の大地の入場券」を求めて北海道のまちを
たずねて回るといろいろ見つかるかもしれませんね。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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