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【おでかけアーカイブス】#02ー1995年~1998年頃まで

行ってみたいところにあちこち出かけるようになったのがこの頃。

初めて自力で(?)近畿地方を飛び出したのが1995年3月25日、土曜日。
悪友4人と自分で青春18きっぷを握りしめ、いざ東京へ!
往路は在来線を乗り継いで横浜組と都内組に分かれ、こちらは都内組として東京→秋葉原駅→上野公園→渋谷ハチ公口→東横線で横浜という移動。
秋葉原駅では駅そばを啜っています。理由は「東京の蕎麦のダシはホントにどす黒いのか」を確かめるため(爆)
青春18きっぷを持っているのに東横線?というのは、当時は湘南新宿ラインなんてものは存在しておらず、品川まで戻って来た道を戻るのは芸がないと思ったから。
横浜からは京浜東北線で関内へ向かい、横浜組と合流。横浜中華街で晩メシを楽しみ、夜行バス「ハーバーライト大阪号」で帰阪しました。
これで往復の交通費が1万円ちょっと。いわゆる「大垣夜行」は自由席列車で数時間前から並ぶ必要があることと、旅慣れない若造5人での移動はやはり大変だし……という思索で、確実に帰阪できる選択肢をとりました。

この後はシーズンごとに少しずつ勢力を広め、琵琶湖一周や天橋立のまたのぞき、後楽園での花見などに興じたり、生家(アパート)の管理人をしていたおじさんが郷里の四国に帰ったことを機にそこへ押しかけたり、根尾谷の薄墨桜(初見参は9月)を見に行ったりしました。

翌年1996年には、まとまった資金が手元に入ったことを受けて、夏に仙台の七夕と松島、そして宮島をひとまとめにした旅を計画。冒頭の写真にupした一般周遊券を作成して、8月に初フライトで仙台へ向かい、松島の風景を満喫した後に仙台市内に戻り七夕まつりの賑わいを味わう。そしてノンストップのやまびこ号とひかり号を乗り継いで帰阪しました。
約1ヶ月後の9月初旬に残りのルートとなる宮島攻略と原爆資料館見学を実現して、学割周遊券旅を思う存分楽しむことができました。
一般周遊券の有効期間が1ヶ月だったことから実現したプランと言えます。

1997年には卒業旅行として10人の小団体旅行を九州2泊3日で実施。10人の行きたいところ・やりたいことをできるかぎり盛り込んだ旅としました。一部を挙げてみると、
・飛行機に乗りたい(10人中4人が初乗り)
・船旅がしたい
・温泉に入りたい(できれば露天風呂)
・地元の有名な料理を味わいたい
・500系のぞみに乗りたい など
とまあ、言いたい放題(笑)
旅程はこんな感じになりました。
1日目:伊丹空港集合→福岡空港→博多[特急かもめ]長崎→市内観光(泊)
2日目:長崎→鳥栖→島原外港→熊本港→熊本[特急有明]久留米[特急ゆふいんの森]由布院(泊)
3日目:由布院[特急ゆふいんの森]別府[特急ソニック]小倉[のぞみ500号]新大阪解散
この旅程で1人あたり66,000円。何とも盛りだくさんな旅でした。

1998年にはスルッとKANSAIエリア拡大を受けて企画された「スルッとKANSAI鉄人ラリー」に友人と参加して応募したところ、2人でワンツーフィニッシュを達成。いただいた副賞で初の北海道旅を楽しんできました。目的地は札幌・小樽・函館2泊3日。1人あたりの旅費は75,000円。豪遊させていただきました♪

この後、現業へ次第に入りこんでいくようになり、趣味と実益(?)を存分に活かした段階へ向かっていくことになります(笑)

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。


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